》く迄《まで》にや心配《しんぺえ》しあんしたよ」勘次《かんじ》は僅《わづか》な帶《おび》のことが大《おほ》きな事件《じけん》の解決《かいけつ》でも與《あた》へられたやうに心《こゝろ》の底《そこ》から勢《いきほ》ひづいて内儀《かみ》さんの前《まへ》に感謝《かんしや》した。

         一一

 勘次《かんじ》は極《きは》めて狹《せま》い周圍《しうゐ》を有《いう》して居《ゐ》る。然《しか》し彼《かれ》の痩《や》せた小《ちひ》さな體躯《からだ》は、其《そ》の狹《せま》い周圍《しうゐ》と反撥《はんぱつ》して居《ゐ》るやうな關係《くわんけい》が自然《しぜん》に成立《なりた》つて居《ゐ》る。彼《かれ》は決《けつ》して他人《たにん》と爭鬪《さうとう》を惹《ひ》き起《おこ》した例《ためし》もなく、寧《むし》ろ極《きは》めて平穩《へいをん》な態度《たいど》を保《たも》つて居《ゐ》る。唯《たゞ》彼等《かれら》のやうな貧《まづ》しい生活《せいくわつ》の者《もの》は相互《さうご》に猜忌《さいぎ》と嫉妬《しつと》との目《め》を峙《そばだ》てゝ居《ゐ》る。勘次《かんじ》は異常《いじやう》な勞働《らうどう》によつて報酬《はうしう》を得《え》ようとする一|方《ぱう》に一|錢《せん》と雖《いへど》も容易《ようい》に其《そ》の懷《ふところ》を減《げん》じまいとのみ心懸《こゝろが》けて居《ゐ》る。彼等《かれら》のやうな低《ひく》い階級《かいきふ》の間《あひだ》でも相互《さうご》の交誼《かうぎ》を少《すこ》しでも破《やぶ》らないやうにするのには、其處《そこ》には必《かなら》ず其《それ》に對《たい》して金錢《きんせん》の若干《じやくかん》が犧牲《ぎせい》に供《きよう》されねばならぬ。絶對《ぜつたい》に其《その》犧牲《ぎせい》を惜《をし》むものは他《た》の憎惡《ぞうを》を買《か》ふに至《いた》らないまでも、相互《さうご》の間《あひだ》は疎略《そりやく》にならねばならぬ。然《しか》し其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》ことは勘次《かんじ》を苦《くるし》めて其《そ》のさもしい心《こゝろ》の或《ある》物《もの》を挽囘《ばんくわい》させる力《ちから》を有《いう》して居《ゐ》ないのみでなく、殆《ほと》んど何《なん》の響《ひゞき》をも彼《かれ》の心《こゝろ》に
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