け》見《み》てたつけが此《これ》は誰《た》れが書《か》いたつて聞《き》くから、わし等《ら》方《はう》の旦那《だんな》でがすつて云《ゆ》つたら、さうかそんぢやよし/\歸《けえ》れなんていふもんだからほつと息《いき》つきあんした、瘧《おこり》落《お》ちたやうでさあはあ、そんだからわし等《ら》なんぼにもあゝい處《ところ》へは出《で》んな厭《や》で」
 彼《かれ》は少時《しばし》間《あひだ》を措《お》いて
「そんだが、旦那《だんな》はたいしたもんでがすね、旦那《だんな》書《か》いたんだつて云《ゆ》つたらなあ」と彼《かれ》は更《さら》に跟《つ》いて行《い》つた近所《きんじよ》の者《もの》を顧《かへり》みていつた。
 事件《じけん》は如此《かくのごとく》にして一|見《けん》妙《めう》な然《しか》も最《もつと》も普通《ふつう》な方法《はうはふ》を踏《ふ》んで終局《しうきよく》が告《つ》げられた。被害者《ひがいしや》の損害《そんがい》に對《たい》する賠償《ばいしやう》は僅《わづか》であるとはいひながら一|時《じ》主人《しゆじん》の手《て》から出《で》てそれが被害者《ひがいしや》に渡《わた》された。
「わしも此《こ》れからは決《けつ》して他人《たにん》の物《もの》は塵《ちり》つ葉《ぱ》一|本《ぽん》でも盜《と》りませんからどうぞ」
 と勘次《かんじ》は有繋《さすが》に泣《な》いた。彼《かれ》はまだお品《しな》が死《し》んだ年《とし》の小作米《こさくまい》の滯《とゞこほ》りも拂《はら》つてはないし、加之《それのみでなく》卯平《うへい》から譲《ゆづ》られた借財《しやくざい》の残《のこ》りもちつとも極《きま》りがついて無《な》いのに又《また》今度《こんど》の間違《まちがひ》から僅《わづか》ながら新《あらた》な負擔《ふたん》が加《くは》はつたのである。彼《かれ》が懸命《けんめい》の勞働《らうどう》は舊《きう》に倍《ばい》して著《いちじ》るしく人《ひと》の目《め》に立《た》つた。
 或《ある》日《ひ》主人《しゆじん》の内儀《かみ》さんは偶然《ひよつ》とした機會《はづみ》があつて勘次《かんじ》に噺《はなし》をした。
「あれでなか/\おつぎにも驚《おどろ》いたもんだね」内儀《かみ》さんはいつた。
「はあどうか仕《し》あんしたんべか、お内儀《かみ》さん」勘次《かんじ》は怪訝《けげん》な容子《ようす》
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