》を濟《すま》してまだ眠《ねむ》らずに居《ゐ》たのであつたらう。それは高瀬船《たかせぶね》の船頭夫婦《せんどうふうふ》が、足《た》りても足《た》りなくても自分《じぶん》の家族《かぞく》の唯一《ゆゐいつ》の住居《すまゐ》である其《そ》の舳《へさき》に造《つく》られた箱《はこ》のやうな狹《せば》いせえじの中《なか》で噺《はな》して居《ゐ》る聲《こゑ》であつた。乳呑兒《ちのみご》の泣《な》く聲《こゑ》も交《まじ》つて聞《きこ》えた。おつぎは後《あと》へ退去《すさ》つた。おつぎは殆《ほと》んど無意識《むいしき》に土手《どて》を南《みなみ》へ走《はし》つた。處々《ところ/″\》誰《だれ》かゞ道芝《みちしば》の葉《は》を縛《しば》り合《あは》せて置《お》いたので、おつぎは幾度《いくたび》かそれへ爪先《つまさき》を引《ひ》つ掛《か》けて蹶《つまづ》いた。
土手《どて》の篠《しの》は段々《だん/\》に疎《まば》らに成《な》つて水《みづ》が一|杯《ぱい》に見《み》えて來《き》た。鬼怒川《きぬがは》の水《みづ》は土手《どて》より遙《はるか》に低《ひく》く闇《やみ》の底《そこ》にしら/\と薄《うす》く光《ひか》つて居《ゐ》る。夜《よる》の手《て》は對岸《たいがん》の松林《まつばやし》の陰翳《かげ》を其《そ》の水《みづ》に投《な》げて、川幅《かわはゞ》は僅《わづか》に半分《はんぶん》に蹙《せば》められて見《み》える。蟋蟀《こほろぎ》は其處《そこ》らあたり一|杯《ぱい》に鳴《な》きしきつて、其《そ》の聚《あつま》つた聲《こゑ》は空《そら》にまで響《ひゞ》かうとしては沈《しづ》みつゝ/\、それがゆつたりと大《おほ》きな波動《はどう》の如《ごと》く自然《しぜん》に抑揚《よくやう》を成《な》しつゝある。おつぎは到頭《たうとう》渡船場《とせんば》まで來《き》た。おつぎはそれから水際《みづぎは》へおりようとすると水《みづ》を渡《わた》つて靜《しづ》かに然《しか》も近《ちか》く人《ひと》の聲《こゑ》がして、時々《ときどき》しやぶつといふ響《ひゞき》が水《みづ》に起《おこ》る。不審《ふしん》に思《おも》つて躊躇《ちうちよ》して居《ゐ》ると突然《とつぜん》目《め》の前《まへ》に對岸《たいがん》の松林《まつばやし》の陰翳《かげ》から白《しろ》く光《ひか》つて居《ゐ》る水《みづ》の上《うへ》へ舳《へさき》が出
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