事《しごと》をするがいい、後《のち》にわしが申報書《しんぱうしよ》を拵《こしら》へて來《き》て遣《や》るから、それへ印形《いんぎやう》を捺《お》せばそれで手續《てつゞき》は濟《す》むんだからな」巡査《じゆんさ》はさういつてさうして被害者《ひがいしや》が
「そんぢや、わし蜀黍《もろこし》隱《かく》して置《お》く處《とこ》見出《めつけ》あんすから、屹度《きつと》有《あ》んに極《きま》つてんだから」といふ聲《こゑ》を後《あと》にして畑《はたけ》の小徑《こみち》をうねりつゝ行《い》つた。
「今度《こんだ》こさあ、捕縛《つかま》つちや一杯《いつぺえ》に引《ひ》つ喰《く》らあんだんべ」畑同士《はたけどうし》は痛快《つうくわい》に感《かん》じつゝ口々《くち/″\》に恁《か》ういふことをいつた。
「おつう俺《お》らとつても今度《こんだあ》駄目《だめ》だよ」勘次《かんじ》は果敢《はか》ない自分《じぶん》の心持《こゝろもち》を唯《ゆゐ》一の家族《かぞく》であるおつぎの身體《からだ》へ投《な》げ掛《か》けるやうに萎《しを》れ切《き》つていつた。勘次《かんじ》は衷心《ちうしん》から恐怖《きようふ》したのである。其《そ》れ程《ほど》ならば何故《なぜ》彼《かれ》は蜀黍《もろこし》の穗《ほ》を伐《き》ることを敢《あへ》てしたのであつたらうか。彼《かれ》は此《こ》れまでも畑《はたけ》の物《もの》を盜《と》つたのは一|度《ど》や二|度《ど》ではない。其《そ》れは些少《させう》であつたが彼《かれ》は盜《と》りたくなつた時《とき》機會《きくわい》さへあれば何時《いつ》でも盜《と》りつゝあつたのである。彼《かれ》は身《み》を殺《ころ》さうとまで其《そ》の薄弱《はくじやく》な意思《いし》が少《すこ》しのことにも彼《かれ》を苦《くる》しめる時《とき》、彼《かれ》を衝動《そそ》つて盜性《たうせい》がむか/\と首《くび》を擡《もた》げつゝあつたのである。勘次《かんじ》はもう仕事《しごと》をする處《どころ》ではない。彼《かれ》は到底《たうてい》寸時《すんじ》も其《そ》の家《いへ》に堪《た》へられなく成《な》つて、隣《となり》の彼《かれ》の主人《しゆじん》に縋《すが》らうとした。其《そ》の閾《しきゐ》を越《こ》すことが彼《かれ》にはどれ程《ほど》辛《つら》かつたか知《し》れぬ。主人《しゆじん》は不在《ふざい》であつた
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