は百姓《ひやくしやう》は大抵《たいてい》控《ひか》へ目《め》にして出《で》なかつた。
 勘次《かんじ》は黄昏《たそがれ》近《ちか》くなつてから獨《ひとり》で草刈籠《くさかりかご》を背負《せお》つて出《で》た。彼《かれ》は何時《いつ》もの道《みち》へは出《で》ないで後《うしろ》の田圃《たんぼ》から林《はやし》へ、それから遠《とほ》く迂廻《うくわい》して畑地《はたち》へ出《で》た。日《ひ》はまだほんのりと明《あか》るかつたので勘次《かんじ》はそつちこつちと空《から》な草刈籠《くさかりかご》を背負《せお》つた儘《まゝ》歩《ある》いた。彼《かれ》は其《そ》れでも良心《りやうしん》の苛責《かしやく》に對《たい》して編笠《あみがさ》で其《そ》の顏《かほ》を隔《へだ》てた。日《ひ》がとつぷりと暮《く》れた時《とき》彼《かれ》は道端《みちばた》へ草刈籠《くさかりかご》を卸《おろ》した。其處《そこ》には畑《はたけ》の周圍《まはり》に一畝《ひとうね》づつに作《つく》つた蜀黍《もろこし》が丈《たけ》高《たか》く突《つ》つ立《た》つて居《ゐ》る。草刈籠《くさかりかご》がすつと地上《ちじやう》にこける時《とき》蜀黍《もろこし》の大《おほき》な葉《は》へ觸《ふ》れてがさりと鳴《な》つた。更《さら》に其《その》葉《は》は何處《どこ》にも感《かん》じない微風《びふう》に動搖《どうえう》して自分《じぶん》のみが怖《おぢ》たやうに騷《さわ》いで居《ゐ》る。穗《ほ》は何《なに》を騷《さわ》ぐのかと訝《いぶか》るやうに少《すこ》し俯目《ふしめ》に見《み》おろして居《ゐ》る。勘次《かんじ》は菜切庖丁《なきりばうちやう》を取出《とりだ》して、其《その》高《たか》い蜀黍《もろこし》の幹《みき》をぐつと曲《まげ》ては穗首《ほくび》に近《ちか》く斜《なゝめ》に伐《き》つた。穗《ほ》は勘次《かんじ》の手《て》に止《とま》つて幹《みき》は急《きふ》に跳《は》ね返《かへ》つた。さうして戰慄《せんりつ》した。勘次《かんじ》は重《おも》く成《な》つた草刈籠《くさかりかご》を背負《せお》つて今度《こんど》は野《の》らの道《みち》を一散《いつさん》に自分《じぶん》の家《うち》へ歸《かへ》つた。次《つぎ》の朝《あさ》勘次《かんじ》は軒端《のきばた》へ横《よこ》に竹《たけ》を渡《わた》して、ゆつさりとする其《そ》の穗《ほ》を縛《しば
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