た。只《たゞ》南瓜《たうなす》だけは其《そ》の特有《もちまへ》の大《おほ》きな葉《は》をずん/\と擴《ひろ》げて蔓《つる》の先《さき》が忽《たちま》ちに厠《かはや》の低《ひく》い廂《ひさし》から垂《た》れた。殊《こと》に栗《くり》の木《き》に絡《から》んだのは白晝《ひるま》の忘《わす》れる程《ほど》長《なが》い間《あひだ》雨戸《あまど》は閉《と》ぢた儘《まゝ》で、假令《たとひ》油蝉《あぶらぜみ》が炒《い》りつけるやうに其處《そこ》らの木《き》毎《ごと》にしがみ附《つ》いて聲《こゑ》を限《かぎ》りに鳴《な》いたにした處《ところ》で、凡《すべ》てが暑《あつ》さに疲《つか》れたやうで寧《むし》ろ極《きは》めて閑寂《かんじやく》な庭《には》を覗《のぞ》いては、葉《は》の陰《かげ》ながら段々《だん/\》に日《に》に燒《や》けつゝ太《ふと》りつゝ臀《しり》の臍《へそ》を剥《む》き出《だ》してどつしりと枝《えだ》から垂《た》れ下《さが》つた。それが僅《わづか》に庭《には》に威勢《ゐせい》をつけて居《ゐ》る。
一|般《ぱん》にさうではあるが殊《こと》に勘次《かんじ》の手《て》に作《つく》られた蔬菜《そさい》は凡《すべ》て其《そ》の成熟《せいじゆく》が後《おく》れた。それで其《そ》の蔬菜《そさい》が庖丁《はうちやう》にかゝる間《あひだ》は口《くち》にこそつぱい干菜《ほしな》や切干《きりぼし》やそれも缺乏《けつばう》を告《つ》げれば、此《こ》れでも彼等《かれら》の果敢《はか》ない貯蓄心《ちよちくしん》を最《もつと》も發揮《はつき》した菜《な》や大根《だいこん》の鹽辛《しほから》い漬物《つけもの》の桶《をけ》にのみ其《そ》の副食物《ふくしよくぶつ》を求《もと》めるのである。彼等《かれら》は勞働《らうどう》から來《く》る空腹《くうふく》を意識《いしき》する時《とき》は一寸《いつすん》も動《うご》くことの出來《でき》ない程《ほど》俄《にはか》に疲勞《ひらう》を感《かん》ずることさへある。什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》麁末《そまつ》な物《もの》でも彼等《かれら》の口《くち》には問題《もんだい》ではない。彼等《かれら》は味《あじは》ふのではなくて要《えう》するに咽喉《のど》の孔《あな》を埋《うづ》めるのである。冷水《れいすゐ》を注《そ
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