《とき》、趾《あと》には陸稻《をかぼ》や大豆《だいづ》がひよろ/\と青《あを》ばんだ畑《はたけ》に勘次《かんじ》の茄子《なす》は短《みじか》い畝《うね》が五|畝《うね》ばかりになつて立《た》つて居《ゐ》た。下葉《したは》は黄色《きいろ》くなつて居《ゐ》たがそれでも麥《むぎ》が暫《しばら》く日《ひ》を掩《おほ》うたので皆《みな》根《ね》づいて生長《せいちやう》しかけて居《ゐ》た。假令《たとひ》痩《や》せさせないまでも肥《こや》して行《ゆ》くことをしない畑《はたけ》の土《つち》に茄子《なす》は干稻《ひね》びてそれで處々《ところ/″\》に一《ひと》つ宛《づゝ》花《はな》を持《も》つて居《ゐ》た。勘次《かんじ》は朝《あさ》のまだ凉《すゞ》しい、葉《は》に濕《しめ》りのある間《あひだ》に竈《かまど》の灰《はひ》を持《も》つて行《い》つて其《そ》の葉《は》に掛《か》けて遣《や》る丈《だけ》の手數《てすう》は竭《つく》したのである。それで幾《いく》らでも活溌《くわつぱつ》に運動《うんどう》する瓜葉蟲《うりはむし》は防《ふせ》がれた。それは羽《はね》が赤《あか》いので赤蠅《あかばへ》と土地《とち》ではいつて居《ゐ》る。木《き》の灰《はひ》では油蟲《あぶらむし》の湧《わ》くのはどうも出來《でき》なかつた。それから又《また》根切蟲《ねきりむし》が残酷《ざんこく》に堅《かた》い莖《くき》を根《ね》もとからぷきりと噛《か》み倒《たふ》して植《うゑ》た數《かず》の減《へ》るにも拘《かゝは》らず、彼《かれ》は遠《とほ》く畑《はたけ》に出《で》て土《つち》に潜伏《せんぷく》して居《ゐ》る其《その》憎《にく》むべき害蟲《がいちう》を探《さが》し出《だ》して其《その》丈夫《ぢやうぶ》な體《からだ》をひしぎ潰《つぶ》して遣《や》る丈《だけ》の餘裕《よゆう》を身體《からだ》にも心《こゝろ》にも持《も》つて居《ゐ》ない。垣根《かきね》の胡瓜《きうり》は季節《きせつ》の南《みなみ》が吹《ふ》いて、朝《あさ》の靄《もや》がしつとりと乾《かわ》いた庭《には》の土《つち》を濕《しめ》しておりると何《なに》を僻《ひが》んでか葉《は》の陰《かげ》に下《さが》る瓜《うり》が、萎《しぼ》んだ花《はな》のとれぬうちに尻《しり》が曲《まが》つて忽《たちま》ちに蔓《つる》も葉《は》もがら/\に枯《かれ》て畢《しま》つたのであつ
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