く頭《あたま》を抑《おさ》へるやうに重苦《おもくる》しい感《かん》じがする。
 悉《こと/″\》く畑《はた》へ走《はし》つた村落《むら》の内《うち》には稀《まれ》にさういふ青葉《あをば》の間《あひだ》に鯉幟《こひのぼり》がばさ/\と飜《ひるがへ》つてはぐたりと成《な》つて、それが朝《あさ》から永《なが》い日《ひ》を一|日《にち》、さうして其《そ》の家族《かぞく》が日《ひ》は沒《ぼつ》したにしても何時《いつ》になくまだ明《あか》るい内《うち》に浴《ゆあ》みをして女《をんな》までが裂《さ》いた菖蒲《しやうぶ》を髮《かみ》に卷《ま》いて、忙《せは》しい日《ひ》と日《ひ》の間《あひだ》をそれでも晴衣《はれぎ》の姿《すがた》になる端午《たんご》の日《ひ》の來《く》るのを懶《ものう》げに待《ま》つて居《ゐ》る。さういふ青葉《あをば》の村落《むら》から村落《むら》を女《をんな》の飴屋《あめや》が太皷《たいこ》を叩《たゝ》いて歩《ある》いた。明屋《あきや》ばかりの村落《むら》を雨《あめ》が降《ふ》らねば女《をんな》は端《はし》から端《はし》と唄《うた》うて歩《ある》く。勘次《かんじ》が唄《うた》うたのは其《そ》の女《をんな》の唄《うた》である。女《をんな》は聲《こゑ》を高《たか》く唄《うた》うては又《また》聲《こゑ》を低《ひく》くして其《そ》の句《く》を反覆《はんぷく》する。其《そ》の唄《うた》ふ處《ところ》は毎日《まいにち》唯《たゞ》此《こ》の一|句《く》に限《かぎ》られて居《ゐ》た。女《をんな》は年増《としま》で一人《ひとり》の子《こ》を負《お》うて居《ゐ》る。鬼怒川《きぬがは》を徃復《わうふく》する高瀬船《たかせぶね》の船頭《せんどう》が被《かぶ》る編笠《あみがさ》を戴《いたゞ》いて、洗《あら》ひ曝《ざら》しの單衣《ひとへ》を裾《すそ》は左《ひだり》の小褄《こづま》をとつて帶《おび》へ挾《はさ》んだ丈《だけ》で、飴《あめ》は箱《はこ》へ入《い》れて肩《かた》から掛《か》けてある。暮《あつ》い日《ひ》は笠《かさ》の編目《あみめ》を透《とほ》して女《をんな》の顏《かほ》に細《ほそ》い強《つよ》い線《せん》を描《ゑが》く。女《をんな》の顏《かほ》は窶《やつ》れて居《ゐ》た。子《こ》は概《おほむ》ね眠《ねむ》つて居《ゐ》た。耳《みゝ》もとで鳴《な》る太皷《たいこ》の喧《やかま》しい音
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