》は居《ゐ》つかれないといふ見越《みこし》が先《さき》に立《た》つて、心底《しんそこ》から周旋《しうせん》を仕《し》ようといふのではない。唯《たゞ》暇《ひま》を惜《を》しがる勘次《かんじ》が何處《どこ》へでも鍬《くは》や鎌《かま》を棄《す》てゝ釣込《つりこ》まれるので遂《つひ》惡戯《いたづら》にじらして見《み》るのである。殊《こと》におつぎが大《おほ》きくなればなる程《ほど》、其《そ》の働《はたら》きが目《め》に立《た》てば立《た》つ程《ほど》後妻《ごさい》には居憎《ゐにく》い處《ところ》だと人《ひと》は思《おも》つた。貧乏世帶《びんばふじよたい》へ後妻《ごさい》にでもならうといふものには實際《じつさい》碌《ろく》な者《もの》は無《な》いといふのが一|般《ぱん》の斷案《だんあん》であつた。他人《ひと》は只《たゞ》彼《かれ》の心《こゝろ》を苛立《いらだ》たせた。さうして彼《かれ》の尋常外《なみはず》れた態度《たいど》が、却《かへつ》て惡戯好《いたづらず》きの心《こゝろ》を挑發《てうはつ》するのみであつた。
「まゝよう、まゝようでえ、まゝあな、ら、ぬう」
勘次《かんじ》は小聲《こごゑ》で唄《うた》うて行《ゆ》くのがどうかすると人《ひと》の耳《みゝ》にも響《ひゞ》くやうに成《な》つた。
 其《そ》の頃《ころ》は勘次《かんじ》の庭《には》の栗《くり》の梢《こずゑ》も、それへ繁殖《はんしよく》して残酷《ざんこく》に葉《は》を喰《く》ひ荒《あら》す栗毛蟲《くりけむし》のやうな毒々《どく/\》しい花《はな》が漸《やうや》く白《しろ》く成《な》つて、何處《どこ》の村落《むら》にもふつさりとした青葉《あをば》の梢《こずゑ》から栗《くり》の木《き》が比較的《ひかくてき》に多《おほ》いことを示《しめ》して其《そ》の白《しろ》い花《はな》が目《め》についた。村落《むら》を埋《うづ》めて居《ゐ》る梢《こずゑ》からふわ/\と蒸氣《ゆげ》が立《た》ち騰《あが》らうといふ形《かたち》に栗《くり》の花《はな》は一|杯《ぱい》である。空《そら》は降《ふ》らないながらに低《ひく》い雲《くも》が蟠《わだかま》つて、時々《とき/″\》目《め》に鮮《あざや》かで且《かつ》黒《くろ》ずんだ青葉《あをば》の上《うへ》にかつと黄色《きいろ》な明《あか》るい光《ひかり》を投《な》げる。何處《どこ》となく濕《しめ》つぽ
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