で嫣然《にこり》とする時《とき》にはそれが却《かへつ》て科《しな》をつくらせた。
「勘次《かんじ》さん譯《わけ》のねえもんだな、まあだ此間《こねえだ》だと思《おも》つてたのにな、嫁《よめ》にやつてもえゝ位《くれえ》ぢやねえけえ、お品《しな》さんもおめえ此《この》位《くれえ》の時《とき》ぢやなかつたつけかよ」女房等《にようばうら》は又《また》揶揄半分《からかひはんぶん》に恁《か》ういふこともいつた。おつぎは勘次《かんじ》がさういはれる時《とき》何時《いつ》も赤《あか》い顏《かほ》をして餘所《よそ》を向《む》いて畢《しま》ふのである。勘次《かんじ》はお品《しな》のことをいはれる度《たび》に、おつぎの身體《からだ》をさう思《おも》つては熟々《つく/″\》と見《み》る度《たび》に、お品《しな》の記憶《きおく》が喚返《よびかへ》されて一|種《しゆ》の堪《た》へ難《がた》い刺戟《しげき》を感《かん》ぜざるを得《え》ない。それと同時《どうじ》に女房《にようばう》が欲《ほ》しいといふ切《せつ》ない念慮《ねんりよ》を湧《わ》かすのである。遠慮《ゑんりよ》の無《な》い女房等《にようばうら》にお品《しな》の噺《はなし》をされるのは徒《いたづ》らに哀愁《あいしう》を催《もよほ》すに過《す》ぎないのであるが、又《また》一|方《ぼう》には噺《はなし》をして見《み》て貰《もら》ひたいやうな心持《こゝろもち》もしてならぬことがあつた。
「勘次《かんじ》さんどうしたい、えゝ鹽梅《あんべえ》のが有《あ》んだが後《あと》持《も》つてもよかねえかえ」と彼《かれ》に女房《にようばう》を周旋《しうせん》しようといふ者《もの》はお品《しな》が死《し》んでから間《ま》もなく幾《いく》らもあつた。勘次《かんじ》は只《たゞ》お品《しな》にのみ焦《こが》れて居《ゐ》たのであるが、段々《だん/\》日數《ひかず》が經《た》つて不自由《ふじいう》を感《かん》ずると共《とも》に耳《みゝ》を聳《そばだ》てゝさういふ噺《はなし》を聞《き》くやうに成《な》つた。然《しか》し其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》噺《はなし》をして聞《き》かせる人々《ひと/″\》は勘次《かんじ》の酷《ひど》い貧乏《びんばふ》なのと、二人《ふたり》の子《こ》が有《あ》るのとで到底《たうてい》後妻《ごさい
前へ 次へ
全478ページ中133ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング