は手拭《てぬぐひ》の被《かぶ》りやうにも心《こゝろ》を配《くば》る只《たゞ》の女《をんな》である。それが家《いへ》に歸《かへ》れば直《たゞち》に苦《くる》しい所帶《しよたい》の人《ひと》に成《な》らねばならぬ。そこにおつぎの心《こゝろ》は別人《べつにん》の如《ごと》く異常《いじやう》に引《ひ》き緊《し》められるのであつた。
 復《また》爽《さわや》かな初夏《しよか》が來《き》て百姓《ひやくしやう》は忙《せは》しくなつた。おつぎは死《し》んだお品《しな》が地機《ぢばた》に掛《か》けたのだといふ辨慶縞《べんけいじま》の單衣《ひとへ》を着《き》て出《で》るやうに成《な》つた。針《はり》を持《も》つやうに成《な》つた時《とき》おつぎは此《これ》も自分《じぶん》の手《て》で仕上《しあげ》たのであつた。夫《それ》は傍《そば》で見《み》て居《ゐ》ては危《あぶ》な相《さう》な手《て》もとで幾度《いくたび》か針《はり》の運《はこ》びやうを間違《まちが》つて解《と》いたこともあつたが、遂《しまひ》には身體《からだ》にしつくり合《あ》ふやうに成《な》つて居《ゐ》た。死《し》んだお品《しな》はおつぎが生《うま》れたばかりに直《すぐ》に竈《かまど》を別《べつ》にして、不見目《みじめ》な生計《くらし》をしたので當時《たうじ》は晴《はれ》の衣物《きもの》であつた其《そ》の單衣《ひとへ》に身《み》を包《つゝ》んで見《み》る機會《きくわい》もなく空《むな》しく藏《しま》つた儘《まゝ》になつて居《ゐ》たのである。それに其《そ》の頃《ころ》は紺《こん》が七日《なぬか》からも經《た》たねば沸《わか》ないやうな藍瓶《あゐがめ》で染《そめ》られたので、今《いま》の普通《ふつう》の反物《たんもの》のやうな水《みづ》で落《お》ちないかと思《おも》へば日《ひ》に褪《さ》めるといふのではなく、勘次《かんじ》がいつたやうに洗濯《せんたく》しても却《かへつ》て冴《さ》えるやうなので、それに地質《ぢしつ》もしつかりと丈夫《ぢやうぶ》なものであつた。おつぎが洗《あら》ひ曝《ざら》しの袷《あはせ》を棄《す》てゝ辨慶縞《べんけいじま》の單衣《ひとへ》で出《で》るやうに成《な》つてからは一際《ひときは》人《ひと》の注目《ちうもく》を惹《ひ》いた。例《れい》の赤《あか》い襷《たすき》が後《うしろ》で交叉《かうさ》して袖《そで》を短《
前へ 次へ
全478ページ中129ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング