むり》ではない。然《しか》し勘次《かんじ》の家《いへ》でおつぎの一|向《かう》針《はり》を知《し》らぬことは不便《ふべん》であつた。勘次《かんじ》もそれを知《し》らないのではないが、今《いま》の處《ところ》自分《じぶん》には其《そ》の餘裕《よゆう》がないのでおつぎがさういふ度《たび》に彼《かれ》の心《こゝろ》は堪《た》へず苦《くる》しむので態《わざ》と邪慳《じやけん》にいつて畢《しま》ふのであつた。其《そ》の冬《ふゆ》になつてからもおつぎは十六だといふ内《うち》に直《すぐ》十七になつて畢《しま》ふと呟《つぶや》いたのであつた。
「春《はる》にでもなつたらやれつかも知《し》んねえから」と勘次《かんじ》は其《そ》の度《たび》にいつて居《ゐ》た。おつぎは到底《たうてい》當《あて》にはならぬと心《こゝろ》に斷念《あきら》めて居《ゐ》たのであつた。それだけおつぎの滿足《まんぞく》は深《ふか》かつた。
或《ある》晩《ばん》どうして記憶《きおく》を復活《ふくくわつ》させたかおつぎはふいといつた。
「井戸《ゐど》へ落《おつこと》した櫟《くぬぎ》根《ね》つ子《こ》は梯子《はしご》掛《か》けても取《と》れめえか」
「何故《なぜ》そんなこといふんだ」勘次《かんじ》は驚《おどろ》いて目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた。
「そんでも可惜《あつたら》もんだからよ」
「汝《われ》自分《じぶん》で梯子《はしご》掛《か》けて這入《へえ》んのか」
「俺《お》ら可怖《おつかねえ》から厭《や》だがな」
「そんなこといふもんぢやねえ、又《また》拘引《つゝてか》れたらどうする、そん時《とき》は汝《われ》でも行《え》くのか」勘次《かんじ》は恁《か》ういつて苦笑《くせう》した。
其《その》晩《ばん》は其《そ》れつ切《き》り二人《ふたり》の間《あひだ》に噺《はなし》はなかつた。
八
與吉《よきち》が五《いつ》つの春《はる》に成《な》つた。ずん/\と生長《せいちやう》して行《ゆ》く彼《かれ》の身體《からだ》はおつぎの手《て》に重量《ぢうりやう》が過《す》ぎて居《ゐ》る。しがみ附《つ》いて居《ゐ》た筍《たけのこ》の皮《かは》が自然《しぜん》に其《そ》の幹《みき》から離《はな》れるやうに、與吉《よきち》は段々《だん/\》おつぎの手《て》から除《のぞ》かれるやうに成
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