此《こ》れからお針《はり》にいけつかんな、そら此《こ》れ持《も》つて行《え》ぐんだ、おつかゞ持《も》つてた古《ふる》いのなんざあ外聞《げえぶん》惡《わる》くつて厭《や》だなんていふから、此《こ》んでもおとつゝあ等《ら》酷《ひで》え錢《ぜね》で買《か》つて來《き》たんだぞ、それから善《え》えだの惡《わり》いだのつて膨《ふく》れたり何《なに》つかすんぢやねえぞ、なあ」勘次《かんじ》は又《また》
「よき汝《われ》はおとつゝあが側《そば》に居《ゐ》る[#「る」に「ママ」の注記]んだぞ、えゝか、※[#「姉」の正字、「女+※[#第3水準1−85−57]のつくり」、109−8]《ねえ》は此《これ》から汝《われ》が衣物《きもの》拵《こせ》えんでお針《はり》に行《え》くんだかんな、聽《き》かねえと酷《ひで》えぞ」と與吉《よきち》を抱《だ》いて能《よ》くいひ含《ふく》めた。
 おつぎはそれから村内《そんない》へ近所《きんじよ》の娘《むすめ》と共《とも》に通《かよ》つた。おつぎは與吉《よきち》の小《ちひ》さな單衣《ひとへもの》を仕上《しあ》げた時《とき》其《そ》の風呂敷包《ふろしきづゝみ》を抱《かゝ》へていそ/\と歸《かへ》つて來《き》た。おつぎは針《はり》持《も》つやうに成《な》つてからはき/\として俄《にはか》にませて來《き》たやうに見《み》えた。おつぎはもう十六である。辛苦《しんく》の間《あひだ》に在《あ》る丈《だけ》に去年《きよねん》からでは何《ど》れ程《ほど》大人《おとな》びて勘次《かんじ》の助《たすけ》に成《な》るか知《し》れない。殊《こと》に秋《あき》の頃《ころ》に成《な》つてからは滅切《めつきり》機轉《きてん》も利《き》くやうになつて、死《し》んだお品《しな》に似《に》て來《き》たと他人《ひと》にはいはれるのであるが、毎日《まいにち》一《ひと》つに居《ゐ》る自分《じぶん》にもさういへば身體《からだ》の恰好《かつかう》までどうやらさう見《み》えて來《き》たと勘次《かんじ》も心《こゝろ》で思《おも》つた。おつぎは今《いま》が遊《あそ》びたい盛《さか》りに這入《はひ》つたのであるが、勘次《かんじ》からは一日《いちにち》でも唯《たゞ》一人《ひとり》で放《はな》されたことがない。村《むら》の休日《ものび》には近所《きんじよ》の女房《にようばう》に連《つ》れられて出《で》て見《み》る
前へ 次へ
全478ページ中117ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング