知《し》つて之《これ》を求《もと》めて居《ゐ》るのだといふことは彼《かれ》は始《はじ》めて見《み》て始《はじ》めて知《し》つた。彼《かれ》は滅多《めつた》に川《かは》を越《こ》えて出《で》ることはなかつたのである。
勘次《かんじ》は自分《じぶん》の壁際《かべぎは》には薪《たきゞ》が一|杯《ぱい》に積《つ》まれてある。其《その》上《うへ》に開墾《かいこん》の仕事《しごと》に携《たづさ》はつて何《なん》といつても薪《たきゞ》は段々《だんだん》殖《ふ》えて行《ゆ》くばかりである。更《さら》に其《そ》の開墾《かいこん》に第《だい》一の要件《えうけん》である道具《だうぐ》が今《いま》は完全《くわんぜん》して自分《じぶん》の手《て》に提《さ》げられてある。彼《かれ》は恁《か》ういふ辛苦《しんく》をしてまでも些少《させう》な木片《もくへん》を求《もと》めて居《ゐ》る人々《ひとびと》の前《まへ》に矜《ほこり》を感《かん》じた。彼《かれ》は自分《じぶん》の境遇《きやうぐう》が什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》であるかは思《おも》はなかつた。又《また》恁《か》ういふ人々《ひとびと》の憐《あは》れなことも想《おも》ひやる暇《いとま》がなかつた。さうして彼《かれ》は自分《じぶん》の技倆《うで》が愉快《ゆくわい》になつた。彼《かれ》は再《ふたゝ》び土手《どて》から見《み》おろした。萬能《まんのう》を持《も》つて居《ゐ》るのは皆《みな》女《をんな》で十三四の子《こ》も交《まじ》つて居《ゐ》るのであつた。人々《ひと/″\》の掘《ほ》り起《おこ》した趾《あと》は畑《はたけ》の土《つち》を蚯蚓《みゝず》が擡《もた》げたやうな形《かたち》に、濕《しめ》つた砂《すな》のうね/\と連《つらな》つて居《ゐ》るのが彼《かれ》の目《め》に映《うつ》つた。
彼《かれ》は家《うち》に歸《かへ》ると共《とも》に唐鍬《たうぐは》の柄《え》を付《つけ》た。鉈《なた》の刀背《みね》で鐵《てつ》の楔《くさび》を打《う》ち込《こ》んでさうして柄《え》を執《と》つて動《うご》かして見《み》た。次《つぎ》の朝《あさ》からもう勘次《かんじ》の姿《すがた》は林《はやし》に見出《みいだ》された。
主人《しゆじん》から與《あた》へられた穀物《こくもつ》は彼《かれ》の一|家《か》
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