あは》を生《しやう》じた肌《はだへ》のやうに只《たゞ》こそばゆく見《み》えた。西風《にしかぜ》は川《かは》に吹《ふ》き落《お》ちる時《とき》西岸《せいがん》の篠《しの》をざわ/\と撼《ゆる》がす。更《さら》に東岸《とうがん》の土手《どて》を傳《つた》うて吹《ふ》き上《あ》げる時《とき》、土手《どて》の短《みじか》い枯芝《かれしば》の葉《は》を一葉《ひとは》づゝ烈《はげ》しく靡《なび》けた。其《そ》の枯芝《かれしば》の間《あひだ》にどうしたものか氣《き》まぐれな蒲公英《たんぽ》の黄色《きいろ》な頭《あたま》がぽつ/\と見《み》える。どうかすると土手《どて》は靜《しづ》かで暖《あたゝ》かなことがあるので、遂《つひ》騙《だま》されて蒲公英《たんぽ》がまだ遠《とほ》い春《はる》を遲緩《もどか》しげに首《くび》を出《だ》して見《み》ては、また寒《さむ》く成《な》つたのに驚《おどろ》いて蹙《ちゞ》まつたやうな姿《すがた》である。
 勘次《かんじ》は唐鍬《たうぐは》を持《も》つて復《ま》た自分《じぶん》の活力《くわつりよく》を恢復《くわいふく》し得《え》たやうに、それから又《また》一|日《にち》仕事《しごと》を怠《おこた》れば身内《みうち》がみり/\して何《なん》だか知《し》らぬが其《そ》の仕事《しごと》に催促《さいそく》されて成《な》らぬやうな心持《こゝろもち》がした。
 鬼怒川《きぬがは》の水《みづ》は落《お》ちて此方《こちら》の土手《どて》から連《つらな》つて居《ゐ》る大《おほ》きな洲《す》が其《そ》の流《なが》れを西岸《せいがん》の篠《しの》の下《した》まで蹙《ちゞ》めて居《ゐ》る。廣《ひろ》く且《かつ》遠《とほ》い洲《す》には只《たゞ》西風《にしかぜ》が僅《わづか》に乾《かわ》いた砂《すな》をさら/\と掃《は》くやうにして吹《ふ》いて居《ゐ》る。それで白《しろ》く乾燥《かんさう》した洲《す》は只《たゞ》からりと清潔《せいけつ》に見《み》える。さういふ間《あひだ》にどうしたものか此《こ》れも氣《き》まぐれな人《ひと》が、遠《とほ》くは其《そ》の砂《すな》から生《は》えたやうに見《み》えてちらほらと散《ち》らばつて少《すこ》しづゝ動《うご》いて居《ゐ》る。勘次《かんじ》は土手《どて》からおりて見《み》た。動《うご》いて居《ゐ》る人々《ひと/″\》は萬能《まんのう》で其《そ》
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