と與吉《よきち》とを南《みなみ》の女房《にようばう》へ頼《たの》んだ。
「他《ほか》へは行《い》くんぢやねえぞ、えゝか、よきは泣《な》かさねえやうにしてんだぞ」彼《かれ》はおつぎへもいつて出《で》た。おつぎは其※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《そんな》注意《ちうい》を人前《ひとまへ》でされることがもう耻《はづ》かしく厭《いや》な心持《こゝろもち》がするやうに成《なつ》て居《ゐ》た。
 勘次《かんじ》は鬼怒川《きぬがは》の渡《わたし》を越《こ》えて土手《どて》を傳《つた》ひて、柄《え》のない唐鍬《たうぐは》を持《も》つて行《い》つた。鍛冶《かぢ》は其《そ》の時《とき》仕事《しごと》が支《つか》へて居《ゐ》たが、それでも恁《か》ういふ職業《しよくげふ》に缺《か》くべからざる道具《だうぐ》といふと何處《どこ》でもさういふ例《れい》の速《すみやか》に拵《こしら》へてくれた。
「隨分《ずゐぶん》荒《あれ》えことしたと見《め》えつけな、俺《お》らも近頃《ちかごろ》になつて此《こ》の位《くれ》えな唐鍬《たうぐは》滅多《めつた》打《ぶ》つたこたあねえよ、」鍛冶《かぢ》は赤《あか》く熱《ねつ》した其《そ》の唐鍬《たうぐは》を暫《しばら》く槌《つち》で叩《たゝ》いて、それから土中《どちう》へ据《す》ゑた桶《をけ》の泥《どろ》を溶《と》いたやうな水《みづ》へぢうと浸《ひた》して、更《さら》に又《また》小《ちひ》さな槌《つち》でちん/\と叩《たゝ》いて
「こんだこさ大丈夫《だいぢようぶ》だ、先《せん》にやどうして罅《ひゞ》なんぞいつたけかよ」鍛冶《かぢ》は汗《あせ》の額《ひたひ》を勘次《かんじ》に向《む》けて
「柄《え》が折《を》つちよれねえうちは動《いご》きつこねえから」といつて又《また》
「身體《からだ》の割《わり》にしちや圖《づ》無《ね》えな」と鍛冶《かぢ》は微笑《びせう》した。鐵《てつ》の臭《にほひ》のする唐鍬《たうぐは》を提《さ》げて勘次《かんじ》は復《また》土手《どて》を走《はし》つた。
 其《そ》の日《ひ》も西風《にしかぜ》が枯木《かれき》の林《はやし》から麥畑《むぎばたけ》からさうして鬼怒川《きぬがは》を渡《わた》つて吹《ふ》いた。鬼怒川《きぬがは》の水《みづ》は白《しろ》い波《なみ》が立《た》つて、遠《とほ》くからはそれが粟《
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