むし》ろ憐《あはれ》になつて又《また》こちらから仕事《しごと》を吩咐《いひつ》けてやつた。更《さら》に袋《ふくろ》へ米《こめ》と挽割麥《ひきわりむぎ》とを交《ま》ぜたのを入《い》れて、それから此《こ》れは傭人《やとひにん》にも炊《た》いてやれないのだからお前《まへ》がよければ持《も》つて行《い》つて秋《あき》にでもなつたら糯粟《もちあは》の少《すこ》しも返《かへ》せと二三|斗《ど》入《はひ》つた粳粟《うるちあは》の俵《たわら》とを一つに遣《や》つた。勘次《かんじ》は主人《しゆじん》の爲《ため》に一|所懸命《しよけんめい》働《はたら》いた。其《そ》の以前《いぜん》からも彼《かれ》は只《たゞ》隣《となり》の主人《しゆじん》から見棄《みす》てられないやうと心《こゝろ》には思《おも》つて居《ゐ》るのであつた。然《しか》し非常《ひじやう》な勞働《らうどう》は傭人《やとひにん》の仲間《なかま》には忌《い》まれた。それは傭人《やとひにん》も彼《かれ》に倣《なら》つて自分《じぶん》も其《そ》の勞力《らうりよく》を偸《ぬす》むことが出來《でき》ないからである。
 さうする内《うち》に世間《せけん》は復《また》春《はる》が移《うつ》つて雨《あめ》が忙《いそが》しく田畑《たはた》へ水《みづ》を供給《きようきふ》した。勘次《かんじ》は自分《じぶん》の後《うしろ》の田《た》へ出《で》て刈株《かりかぶ》を引《ひ》つ返《かへ》しては耕《たがや》した。おつぎも萬能《まんのう》を持《も》つて勘次《かんじ》の後《あと》に跟《つ》いた。勘次《かんじ》はお品《しな》の手《て》が減《へ》つた丈《だけ》はおつぎを使《つか》つてどうにか從來《これまで》作《つく》つた土地《とち》は始末《しまつ》をつけようと思《おも》つた。殊《こと》に田《た》は直《すぐ》後《うしろ》なので什※[#「麾」の「毛」にかえて「公」の右上の欠けたもの、第4水準2−94−57]《どんな》にしても手放《てばな》すまいとした。一|且《たん》地主《ぢぬし》へ還《かへ》して畢《しま》つたら再《ふたゝ》び自分《じぶん》が欲《ほ》しくなつても容易《ようい》に手《て》に入《い》れることが出來《でき》ないのを怖《おそ》れたからである。今《いま》におつぎを一|人前《にんまへ》に仕込《しこ》んで見《み》ると勘次《かんじ》は心《こゝろ》に思《おも》つて居《ゐ》る
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