ほ》く且《かつ》遙《はるか》に響《ひゞ》くかを矜《ほこ》るものゝ如《ごと》く力《ちから》を極《きは》めて鳴《な》く。雨戸《あまど》を閉《と》づる時《とき》蛙《かへる》の聲《こゑ》は滅切《めつきり》遠《とほ》く隔《へだ》つてそれがぐつたりと疲《つか》れた耳《みゝ》を擽《くすぐ》つて百姓《ひやくしやう》の凡《すべ》てを安《やす》らかな眠《ねむ》りに誘《いざな》ふのである。熟睡《じゆくすゐ》することによつて百姓《ひやくしやう》は皆《みな》短《みじか》い時間《じかん》に肉體《にくたい》の消耗《せうまう》を恢復《くわいふく》する。彼等《かれら》が雨戸《あまど》の隙間《すきま》から射《さ》す夜明《よあけ》の白《しろ》い光《ひかり》に驚《おどろ》いて蒲團《ふとん》を蹴《け》つて外《そと》に出《で》ると、今更《いまさら》のやうに耳《みゝ》に迫《せま》る蛙《かへる》の聲《こゑ》に其《そ》の覺醒《かくせい》を促《うなが》されて、井戸端《ゐどばた》の冷《つめ》たい水《みづ》に全《まつた》く朝《あさ》の元氣《げんき》を喚《よ》び返《かへ》すのである。草木《くさき》は遠《とほ》く遙《はるか》に響《ひゞ》けと鳴《な》く其《そ》の聲《こゑ》に撼《ゆす》られつゝ夜《よる》の間《あひだ》に生長《せいちやう》する。櫟《くぬぎ》や楢《なら》や其《その》他《た》の雜木《ざふき》は蛙《かへる》が鳴《な》けば鳴《な》く程《ほど》さうしてそれが鳴《な》き止《や》む季節《きせつ》までは幾《いく》らでも繁茂《はんも》することを繼續《けいぞく》しようとする。其處《そこ》には毛蟲《けむし》や其《そ》の他《た》の淺猿《あさま》しい損害《そんがい》が或《あるひ》は有《あ》るにしても、しと/\と屡《しば/\》梢《こずゑ》を打《う》つ雨《あめ》が空《そら》の蒼《あを》さを移《うつ》したかと思《おも》ふやうに力強《ちからづよ》い深《ふかい》い緑《みどり》が地上《ちじやう》を掩《おほ》うて爽《さわや》かな冷《すゞ》しい陰《かげ》を作《つく》るのである。
 鬼怒川《きぬがは》の西岸《せいがん》一|部《ぶ》の地《ち》にも恁《か》うして春《はる》は來《きた》り且《かつ》推移《すゐい》した。憂《うれ》ひあるものも無《な》いものも等《ひと》しく耒※[#「耒+巨」、74−15]《らいし》を執《と》つて各《おの/\》其《そ》の處《ところ》に就《
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