す》ゑて煙管《きせる》を噛《か》んではむつゝりとして居《ゐ》るのを見《み》ると、何《なん》となく憚《はゞか》つて成《な》るべく其《そ》の視線《しせん》を避《さ》けるやうに遠《とほ》ざかつて居《ゐ》ることを餘儀《よぎ》なくされるのであつた。
勘次《かんじ》とお品《しな》は相思《さうし》の間柄《あひだがら》であつた。勘次《かんじ》が東隣《ひがしどなり》の主人《しゆじん》に傭《やと》はれたのは十七の冬《ふゆ》で十九の暮《くれ》にお品《しな》の婿《むこ》に成《な》つてからも依然《いぜん》として主人《しゆじん》の許《もと》に勤《つと》めて居《ゐ》た。彼《かれ》は其《その》當時《たうじ》お品《しな》の家《うち》へは隣《となり》づかりといふので能《よ》く出入《でい》つた。一《ひと》つには形《かたち》づくつて來《き》たお品《しな》の姿《すがた》を見《み》たい所爲《せゐ》でもあつた。彼《かれ》は秋《あき》の大豆打《だいづうち》といふ日《ひ》の晩《ばん》などには、唐箕《たうみ》へ掛《か》けたり俵《たはら》に作《つく》つたりする間《あひだ》に二|升《しよう》や三|升《じよう》の大豆《だいづ》は竊《ひそか》に隱《かく》して置《お》いてお品《しな》の家《うち》へ持《も》つて行《い》つた。さうして豆熬《まめいり》を噛《かじ》つては夜更《よふけ》まで噺《はなし》をすることもあつた。お品《しな》の家《うち》からは近所《きんじよ》に風呂《ふろ》の立《た》たぬ時《とき》は能《よ》く來《き》た。忙《いそが》しい仕事《しごと》には傭《やと》はれても來《き》た。さういふ間《あひだ》に彼等《かれら》の關係《くわんけい》が成立《なりた》つたのである。それはお品《しな》が十六の秋《あき》である。それから足掛《あしかけ》三|年《ねん》經《た》つた。勘次《かんじ》には主人《しゆじん》の家《うち》が愉快《ゆくわい》に能《よ》く働《はたら》くことが出來《でき》た。彼《かれ》の體躯《からだ》は寧《むし》ろ矮小《こつぶ》であるが、其《その》きりつと緊《しま》つた筋肉《きんにく》が段々《だん/″\》仕事《しごと》を上手《じやうず》にした。
假令《たとひ》どんな物《もの》が彼等《かれら》の間《あひだ》を隔《へだ》てようとしても彼等《かれら》が相《あひ》近《ちか》づく機會《きくわい》を見出《みいだ》したことは鬱蒼《うつさう》と
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