な》らぬと思《おも》ふと自分《じぶん》の身上《しんしやう》から一|俵《ぺう》の米《こめ》を減《げん》じては到底《たうてい》立《た》ち行《ゆ》けぬことを深《ふか》く思案《しあん》して彼《かれ》は眠《ねむ》らないこともあつた。然《しか》し他《た》に方法《はうはふ》もないので彼《かれ》は地主《ぢぬし》へ哀訴《あいそ》して小作米《こさくまい》の半分《はんぶん》を次《つぎ》の秋《あき》まで貸《か》して貰《もら》つた。地主《ぢぬし》は東隣《ひがしどなり》の舊主人《きうしゆじん》であつたのでそれも承諾《しようだく》された。彼《かれ》は更《さら》に其《そ》の僅《わづか》な米《こめ》の一|部《ぶ》を割《さ》いて錢《ぜに》に換《か》へねばならぬ程《ほど》懷《ふところ》が窮《きう》して居《ゐ》たのである。
勘次《かんじ》はそれから復《ま》た利根川《とねがは》の工事《こうじ》へ行《ゆ》かねばならないと思《おも》つて居《ゐ》た。それは彼《かれ》が僅《わづか》の間《あひだ》に見《み》た放浪者《はうらうしや》の怖《おそ》ろしさを思《おも》つて、假令《たとひ》どうしても其《その》統領《とうりやう》を欺《あざむ》いて其《そ》の僅少《きんせう》な前借《ぜんしやく》の金《かね》を踏《ふ》み倒《たふ》す程《ほど》の料簡《れうけん》が起《おこ》されなかつたのである。其《そ》の内《うち》に張元《ちやうもと》から葉書《はがき》が來《き》た。彼《かれ》は只管《ひたすら》恐怖《きようふ》した。然《しか》し二人《ふたり》の子《こ》を見棄《みす》てゝ行《ゆ》くことが出來《でき》ないので、どうしていゝか判斷《はんだん》もつかなかつた。さうする内《うち》にお品《しな》の七日も過《す》ぎた。彼《かれ》は煩悶《はんもん》した。唯《たゞ》一つ卯平《うへい》が野田《のだ》へ行《ゆ》くのを暫《しばら》く猶豫《いうよ》して貰《もら》つて自分《じぶん》は其《そ》の間《あひだ》に少《すこ》しでも小遣錢《こづかひせん》を稼《かせ》いで來《き》たいと思《おも》つた。然《しか》しそれも直接《ちよくせつ》には云《い》ひ出《だ》せないので、例《れい》の桑畑《くはばたけ》一|枚《まい》隔《へだ》てた南《みなみ》へ頼《たの》んだ。數日來《すうじつらい》彼《かれ》は卯平《うへい》が其《そ》の大《おほ》きな體躯《からだ》を火鉢《ひばち》の側《そば》に据《
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