らどうしたもんだえ」側《そば》からいはれて
「見《み》てやあしめえな」と其《その》女房《にようばう》は裏戸《うらど》の口《くち》から庭《には》の方《はう》を見《み》た。さうして
「俺《お》ら見《み》てえな婆《ばゞあ》はどうで此《こ》れから娶《よめ》にでも行《い》くあてがあんぢやなし、構《かま》あねえこたあ構《かま》あねえがな」といつて笑《わら》つた。
 一同《みんな》どつと笑聲《わらひごゑ》を發《はつ》した。
 柩《ひつぎ》を送《おく》つた人々《ひとびと》が離れ/″\に歸《かへ》つて來《く》るまでは雜談《ざつだん》がそれからそれと止《や》まなかつた。平日《へいじつ》何等《なんら》の慰藉《ゐしや》を與《あた》へらるゝ機會《きくわい》をも有《いう》して居《ゐ》ないで、然《しか》も聞《き》きたがり、知《し》りたがり、噺《はなし》たがる彼等《かれら》は三|人《にん》とさへ聚《あつま》れば膨脹《ばうちやう》した瓦斯《ガス》が袋《ふくろ》の破綻《はたん》を求《もと》めて遁《に》げ去《さ》る如《ごと》く、遂《つひ》には前後《ぜんご》の分別《ふんべつ》もなく其《その》舌《した》を動《うご》かすのである。偶《たま/\》抽斗《ひきだし》から出《だ》した垢《あか》の附《つ》かぬ半纏《はんてん》を被《き》て、髮《かみ》にはどんな姿《なり》にも櫛《くし》を入《い》れて、さうして弔《くや》みを濟《すま》すまでは彼等《かれら》は平常《いつも》にないしほらしい容子《ようす》を保《たも》つのである。それは改《あらた》まつて不馴《ふなれ》な義理《ぎり》を述《の》べねばならぬといふ懸念《けねん》が、僅《わづか》ながら彼等《かれら》の心《こゝろ》を支配《しはい》して居《ゐ》るからである。然《しか》し土間《どま》へおりて、襷《たすき》が掛《か》けられて、膳《ぜん》や椀《わん》を洗《あら》つたり拭《ふ》いたり其《その》手《て》を忙《いそが》しく動《うご》かすやうに成《な》れば、彼等《かれら》の心《こゝろ》はそれに曳《ひ》かされて其《そ》の聞《き》きたがり、知《し》りたがり、噺《はな》したがる性情《せいじやう》の自然《しぜん》に歸《かへ》るのである。假令《たとひ》他人《たにん》の爲《ため》には悲《かな》しい日《ひ》でも其《そ》の一|日《じつ》だけは自己《じこ》の生活《せいくわつ》から離《はな》れて若干《じやくか
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