ん》の人々《ひとびと》と一|緒《しよ》に集合《しふがふ》することが彼等《かれら》には寧《むし》ろ愉快《ゆくわい》な一|日《にち》でなければならぬ。間斷《かんだん》なく消耗《せうまう》して行《ゆ》く肉體《にくたい》の缺損《けつそん》を補給《ほきふ》するために攝取《せつしゆ》する食料《しよくれう》は一|椀《わん》と雖《いへど》も悉《こと/″\》く自己《じこ》の慘憺《さんたん》たる勞力《らうりよく》の一|部《ぶ》を割《さ》いて居《ゐ》るのである。然《しか》し他人《たにん》を悼《いた》む一|日《にち》は其處《そこ》に自己《じこ》のためには何等《なんら》の損失《そんしつ》もなくて十|分《ぶん》に口腹《こうふく》の慾《よく》を滿足《まんぞく》せしめることが出來《でき》る。他人《たにん》の悲哀《ひあい》はどれ程《ほど》痛切《つうせつ》でもそれは自己《じこ》當面《たうめん》の問題《もんだい》ではない。如斯《かくのごとく》にして彼等《かれら》の聚《あつま》る處《ところ》には常《つね》に笑聲《せうせい》を絶《た》たないのである。
 お品《しな》も恁《か》ういふ伴侶《なかま》の一人《ひとり》であつた。それが今日《けふ》は其《そ》の笑聲《せうせい》を後《あと》にして冷《つめ》たい土《つち》に歸《き》したのである。

         五

 お品《しな》は自分《じぶん》の手《て》で自分《じぶん》の身《み》を殺《ころ》したのである。お品《しな》は十九の暮《くれ》におつぎを産《う》んでから其《その》次《つぎ》の年《とし》にも亦《また》姙娠《にんしん》した。其《そ》の時《とき》は彼等《かれら》は窮迫《きうはく》の極度《きよくど》に達《たつ》して居《ゐ》たので其《そ》の胎兒《たいじ》は死《し》んだお袋《ふくろ》の手《て》で七月|目《め》に墮胎《だたい》して畢《しま》つた。それはまだ秋《あき》の暑《あつ》い頃《ころ》であつた。強健《きやうけん》なお品《しな》は四五|日《にち》經《た》つと林《はやし》の中《なか》で草刈《くさかり》をして居《ゐ》た。それでも無理《むり》をした爲《ため》に其《その》後《ご》大煩《おほわづら》ひはなかつたが恢復《くわいふく》するまでには暫《しばら》くぶら/\して居《ゐ》た。それからといふものはどういふものかお品《しな》は姙娠《にんしん》しなかつた。おつぎが十三の時《とき》與
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