はなかご》とが其《その》傍《そば》に立《た》てられた。お品《しな》は生來《せいらい》土《つち》を踏《ふ》まない日《ひ》はないといつていゝ位《ぐらゐ》であつた。さうしてそれは凍《い》てる冬《ふゆ》の季節《きせつ》を除《のぞ》いては大抵《たいてい》は直接《ちよくせつ》に足《あし》の底《そこ》が土《つち》について居《ゐ》た。お品《しな》は恁《かう》して冷《つめ》たい屍《かばね》に成《な》つてからも其《そ》の足《あし》の底《そこ》は棺桶《くわんをけ》の板《いた》一|枚《まい》を隔《へだ》てただけで更《さら》に永久《えいきう》に土《つち》と相《あひ》接《せつ》して居《ゐ》るのであつた。
小《ちひ》さな葬式《さうしき》ながら柩《ひつぎ》が出《で》た後《あと》は旋風《つむじかぜ》が埃《ほこり》を吹《ふ》つ拂《ぱら》つた樣《やう》にからりとして居《ゐ》た。手傳《てつだひ》に來《き》て居《ゐ》た女房等《にようばうら》はそれでなくても膳立《ぜんだて》をする客《きやく》が少《すくな》くて暇《ひま》であつたから滅切《めつきり》手持《てもち》がなくなつた。それでも立《た》ちながら椀《わん》と箸《はし》とを持《も》つて口《くち》を動《うご》かして居《ゐ》るものもあつた。膳部《ぜんぶ》は極《きま》つた通《とほ》り皿《さら》も平《ひら》も壺《つぼ》もつけられた。それでも切昆布《きりこぶ》と鹿尾菜《ひじき》と油揚《あぶらげ》と豆腐《とうふ》との外《ほか》は百姓《ひやくしやう》の手《て》で作《つく》つたものばかりで料理《れうり》された。皿《さら》には細《こま》かく刻《きざ》んで鹽《しほ》で揉《も》んだ大根《だいこ》と人參《にんじん》との膾《なます》がちよつぽりと乘《の》せられた。さういふ残物《のこりもの》と冷《つめ》たく成《な》つた豆腐汁《とうふじる》とをつゝいても麥《むぎ》の交《まじ》らぬ飯《めし》が其《そ》の口《くち》には此《こ》の上《うへ》もない滋味《じみ》なので、女房等《にようばうら》は其《そ》の強健《きやうけん》で且《かつ》擴大《くわくだい》された胃《ゐ》の容《い》れる限《かぎ》りは口《くち》が之《これ》を貪《むさぼ》つて止《や》まないのである。彼等《かれら》は裏戸《うらど》の陰《かげ》に聚《あつ》まつて雜談《ざつだん》に耽《ふけ》つた。
「どうしたつけまあ、酷《ひど》く棺桶《くわんをけ》
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