で刻《きざ》んだ花《はな》を飾《かざ》つた。其《そ》の花籠《はなかご》は又《また》底《そこ》へ紙《かみ》を敷《し》いて死《し》んだものゝ年齡《とし》の數《かず》だけ小錢《こぜに》を入《い》れて、それを翳《かざ》した人《ひと》が時々《ときどき》ざら/\と振《ふ》つては籠《かご》の目《め》から其《そ》の小錢《こぜに》を振《ふ》り落《おと》した。村《むら》の小供《こども》が爭《あらそ》つてそれを拾《ひろ》つた。提灯《ちやうちん》と花籠《はなかご》は先《さき》に立《た》つた。後《あと》からは村《むら》の念佛衆《ねんぶつしう》が赤《あか》い胴《どう》の太皷《たいこ》を首《くび》へ懸《か》けてだらりだらりとだらけた叩《たゝ》きやうをしながら一|同《どう》に聲《こゑ》を擧《あげ》て跟《つ》いて行《い》つた。柩《ひつぎ》は小徑《こみち》を避《さ》けて大道《わうらい》を行《い》つた。村《むら》の者《もの》は自分《じぶん》の門《かど》からそれを覗《のぞ》いた。棺桶《くわんをけ》は据《すわ》りが惡《わる》い所爲《せゐ》か途中《とちう》で止《や》まずぐらり/\と動搖《どうえう》した。勘次《かんじ》はそれでも羽織《はおり》袴《はかま》で位牌《ゐはい》を持《も》つた。それは皆《みな》借《か》りたので羽織《はおり》の紐《ひも》には紙撚《こより》がつけてあつた。
 墓《はか》の穴《あな》は燒《や》けた樣《やう》な赤土《あかつち》が四|方《はう》へ堆《うづたか》く掻《か》き上《あ》げられてあつた。其處《そこ》には從來《これまで》隙間《すきま》のない程《ほど》穴《あな》が掘《ほ》られて、幾多《いくた》の人《ひと》が埋《うづ》められたので手《て》の骨《ほね》や足《あし》の骨《ほね》がいつものやうに掘《ほ》り出《だ》されて投《な》げられてあつた。法被《はつぴ》を着《き》た寺《てら》の供《とも》が棺桶《くわんをけ》を卷《ま》いた半反《はんだん》の白木綿《しろもめん》をとつて挾箱《はさんばこ》に入《いれ》た。軈《やが》て棺桶《くわんをけ》は荒繩《あらなは》でさげて其《そ》の赤《あか》い土《つち》の底《そこ》に踏《ふ》みつけられた。麁末《そまつ》な棺臺《くわんだい》は少《すこ》し堆《うづたか》く成《な》つた土《つち》の上《うへ》に置《お》かれて、二《ふた》つの白張提灯《しらはりちやうちん》と二《ふた》つの花籠《
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