りつけられた。葬式《さうしき》の日《ひ》は赤口《しやくこう》といふ日《ひ》であつた。
勘次《かんじ》は近所《きんじよ》と姻戚《みより》との外《ほか》には一|飯《ぱん》も出《だ》さなかつたがそれでも村《むら》のものは皆《みな》二|錢《せん》づゝ持《も》つて弔《くや》みに來《き》た。さうしてさつさと歸《かへ》つて行《い》つた。遠《とほ》く離《はな》れた寺《てら》からは住職《ぢうしよく》と小坊主《こばうず》とが、褪《さ》めた萠黄《もえぎ》の法被《はつぴ》を着《き》た供《とも》一人《ひとり》連《つ》れて挾箱《はさみばこ》を擔《かつ》がせて歩《ある》いて來《き》た。小坊主《こばうず》は直《すぐ》に棺桶《くわんをけ》の葢《ふた》をとつて白《しろ》い木綿《もめん》を捲《ま》くつて窶《やつ》れた頬《ほゝ》へ剃刀《かみそり》を一寸《ちよつと》當《あ》てた。此《こ》の形式的《けいしきてき》の顏剃《かほそり》が濟《す》んでから葢《ふた》は釘《くぎ》で打《う》ち附《つ》けられた。荒繩《あらなは》が十|文字《もんじ》に掛《か》けられた。晒木綿《さらしもめん》の残《のこ》つた半反《はんだん》でそれがぐる/\と捲《ま》かれた。桶《をけ》には更《さら》に天葢《てんがい》が載《の》せられた。天葢《てんがい》というても兩端《りやうたん》が蕨《わらび》のやうに捲《まか》れた狹《せま》い松板《まついた》を二|枚《まい》十|字《じ》に合《あは》せたまでのものに過《すぎ》ない簡單《かんたん》なものである。煤《すゝ》けた壁《かべ》には此《こ》れも古《ふる》ぼけた赤《あか》い曼荼羅《まんだら》の大幅《おほふく》が飾《かざり》のやうに掛《か》けられた。棺《くわん》は僅《わづか》な人《ひと》で葬《はうむ》られた。それでも白提灯《しろぢやうちん》が二張《ふたはり》翳《かざ》された。裂《さ》き竹《だけ》を格子《かうし》の目《め》に編《あ》んでいゝ加減《かげん》の大《おほ》きさに成《な》るとぐるりと四|方《はう》を一つに纏《まと》めて括《くゝ》つた花籠《はなかご》も二つ翳《かざ》された。孰《ど》れも青竹《あをだけ》の柄《え》が附《つ》けられた。其《そ》の籠《かご》へは髭《ひげ》のやうに裂《さ》き竹《だけ》を立《た》てゝ其《そ》の裂《さ》き竹《だけ》には赤《あか》や黄《き》や青《あを》や其《そ》の他《た》の色紙《いろがみ》
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