分から口火を切つた。どんな事で口火を切つてどんな鹽梅《あんばい》に進行させたかといつたつてそれも言へぬ。お秋さんは餘計にはいはぬ。何處までも懶《うと》ましいのである。唯かういふことがあるのだ。此山蔭では蛙を「あんご」といふことや、蟷螂《かまきり》を「けんだんぼう」といふのだといふことやである。それから茸採《きのこと》りに行つて澤山あるといふことを「へしもに/\ある」といふのだといふことであつた。これでは笑はずにはゐられなかつた。自分は忘れた時の爲めにと思つて手帳を出したら偶然どこかの盆踊唄といふのが書いてあつたのを見つけた。「ことしの盆はぼんとも思はない、かうやが燒けても、もかりがぶつこけて、ぼん帷子《かたびら》を白できた」といふのである。これを聞かしたら「ぼん帷子を白できた。」といふのを繰り返しながら暫くは鋸の手を止めて居る。さうして自分を見た時にはいくらか寂しみを帶びた温かい微笑を含んで居つた。此所にもこんなのが有りますといつて「大澤行川《おほさなめが》の嫁子にならば花のお江戸で乞食する」といふのを低い聲でいつた。謠つたのではない。謠へば面白いのだが、お秋さんには迚《と》てもそんなことを爲《さ》せて見ようつて出來ないから駄目だ。それどころではない。少し聞き取れぬ所があつたので折り返して聞いたら赤い顏をして仕舞つたのである。これが谷の三日目である。

     三

 一日拔けて五日目になる。宿で麥酒《ビール》の明罎《あきびん》へ酒をこめて貰つた。八瀬尾《やせを》へ提げて行くのだ。爺さんの晩酌がいつも地酒のきついので我慢して居るのだと知つたからである。樟《くす》の造林から※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]る積りで道を聞いて行つた杉の木深い澤を出拔けたら土橋へは出ないで河の岸へ降りて仕舞つた。變だと思つたが向うの岸に人の歩いたといふ樣な趾が見えたから水を渉《わた》つて行つて見た。芒や木苺が掩ひかぶさつた間に僅に身を窄《すぼ》めて登るだけの隙間がある。段々行くと木苺の刺《とげ》が引つ掛る。荊棘《いばら》はいよいよ深くてとても行かれる所でない。酒の罎も岩へ打つゝけたらそれ迄である。木苺を採つて食つた。黄色い玉のふわふわとして落ち相になつたのは非常に甘い。木苺といつても六尺もあるのだから手を延して折り曲げねばならぬ。ふと自分の近くの青芒の上に枝がかぶさつて眞黄な花
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