水を被りて
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糊つけし浴衣はうれし蚤くひのこちたき趾も洗はれにけり
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涼味漸く加はる
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松の木の疎らこぼるゝ暑き日に草皆硬く秋づきにけり
三
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二十三日、久保博士の令妹より一莖の桔梗をおくらる、枕のほとり俄かに蘇生せるがごとし
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さゝやけきかぞの白紙爪折りて桔梗の花は包まれにけり
桔梗の花ゆゑ紙はぬれにけり冷たき水の滴れるごと
桶などに活けてありける桔梗《きちかう》をもたせりしかば紙はぬれけむ
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目をつぶりてみれば秋既に近し
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白埴の瓶に桔梗を活けしかば冴えたる秋は既にふゝめり
しらはにの瓶にさやけき水吸ひて桔梗の花は引き締りみゆ
桔梗を活けたる水を換へまくは肌は涼しき曉《あけ》にしあるべし
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我は氷を噛むことを好まざれど
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暑き日は氷を口にふくみつゝ桔梗は活けてみるべかるらし
氷入れし冷たき水に汗拭きて桔梗の花を涼しとぞみし
すべもなく汗は衣を透せどもききやうの花はみるにすがしき
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廿四日の夕なり、たま/\柵をいでゝ濱邊に行く、群れ居る人々と草履ぬぎて淺き波にひたる、空の際には暗紫色の霧のごときがたなびきたるに大なる日落ちかゝれり、凝視すれども眩からず、近くは雨をみざる兆なり
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抱かばやと没日のあけのゆゝしきに手圓《たなまど》さゝげ立ちにけるかも
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渚をとほく北にあたりて葦茂りて草もおひたれば行きて探りみんとおもへどこのあたり嘗てなでしこをみずといひにければ
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おしなべて撫子欲しとみえもせぬ顔は憂へず皆たそがれぬ
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構内にレールを敷きたるは濱へゆくみちなり、雜草あまたしげりて月見草ところ/″\にむらがれり、一夜きり/″\すをきく
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石炭の屑捨つるみちの草村に秋はまだきの螽※[#「虫+斯」、第3水準1−91−65]なく
きり/″\すきかまく暫し臀据ゑて暮れきとばかり草もぬくめり
きり/″\すきこゆる夜の月見草おぼつかなくも只ほのかなり
白銀の鍼打つごとききり/″\す幾夜はへなば涼しかるらむ
月見草けぶるが如くにほへれば松の木の間に月缺けて低し
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八月一日、病棟の蔭なる朝顔三日ばかりこのかた漸くに一つ二つとさきいづ
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嗽ひしてすなはちみれば朝顔の藍また殖えて涼しかりけり
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三日夕、整形外科の教室の蔭に手をたてゝおびたゞしく絡ませたるをはじめてみて知る、餘りに日に疎ければ
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朝顔の赤は萎まずむき捨てし瓜の皮など乾く夕日に
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四日
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あさがほの藍のうすきが唯一つ縋りてさびし小雨さへふり
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彼の垣根のもとに草履はきておりたつ
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朝顔のかきねに立てばひそやかに睫にほそき雨かゝりけり
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六日
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かつ/\も土を偃ひたる朝顔のさきぬといへば只白ばかり
鍼の如く 其の五
一
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八月十四日、退院
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朝顔は蔓もて偃へれおもはぬに榊の枝に赤き花一つ
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十六日朝、博多を立つ、日まだ高きに人吉に下車し林の温泉といふにやどる、暑さのはげしくなりてより身はいたく疲れにたりけるを俄かに長途にのぼりたることなれば只管に熱の出でんことをのみ恐れて
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手を當てゝ心もとなき腋草に冷たき汗はにじみ居にけり
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十八日、日向の小林より乘合馬車に身をすぼめて、まだ夜のほどに宮崎へこゝろざす
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草深き垣根にけぶる烏瓜《たまづさ》にいさゝか眠き夜は明けにけり
霧島は馬の蹄にたてゝゆく埃のなかに遠ぞきにけり
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十九日、宮崎より南の方折生迫といふにいたる、青島目睫の間に横はりてうるはしけれど、此の日より驟雨いたりてやがて連日の時化に變りたれば、心落ち居る暇もなきに漁村のならはし食料の蓄もなければ
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かくしつゝ我は痩せむと茶を掛けて硬《こは》き飯はむ豈うまからず
酢をかけて咽喉こそばゆき芋殼の乏しき皿に箸つけにけり
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二十五日に入りて、雨は更に戸を打つこと劇しくして止むべきけしきもなし
[#ここ
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