せむと、遽しく
手の骨を探すもの、
脚の骨を探すもの、
頭蓋骨を奪ひあふもの、
混亂の状を呈せし後、
ゆるやかに動搖する水のまにま、
ふら/\として立ちあがり、
物待ちげのさまなり。
偵察に出でし骸骨は、
昆布の根をば力草に、
骨と骨との離るゝまで
ゆき戻りきつ怪しきものゝ
落ち來りたるを報告せり。
導かるゝ儘に骸骨は、
ふら/\として隨ひ行けば、
そこにあらたしき死屍ありて、
顔もわかぬまで焦げ煤けし、
肉破れ骨のあらはなる、
腥きばかりならびたり
骸骨は、うち寄りて肩を抑へつゝ
『白杳なる容貌に、棕櫚の毛を
植ゑしが如き鬚もてる
君はいづこよ來りしぞ。
この騷擾に關係あらむ、
語れ。』と促しかけたれど、
應へもなきをもどかしげに、
『さらば我まづ語らむ。』と
言ひ放ちて、顎の骨の
歪みたるをおし直し、
『我等はもと旅順にありて、
只管天險の比なきを恃み、
黄海の水あせぬとも
この戌陷るべからずと
心竊に驕りしに、
料らず背面の攻撃にあひ、
遁ぐべき路を失ひて
悉く海に溺れ果てぬ。
そをいまの事に思ひしに、
はや十年の月日は經ぬ。
まこと海底にすまひすれば、
寒暑はさらに辨へざりき。』
かくいひてとりおとせる
肋骨を拾ひ揚げながら、
『波打際に浮き寄りしは、
想ふに土中に葬られむ、
我等はすなはち海の底に
白骨となりぬ。然れども
我が安心を人は知らず。
骸骨は命死なず。
骸骨は飢うることなく、
睡眠を欲せず。病を知らず。
未來永劫にかくの如く、
敵の迫害にあふこともなし。
樂しからずや骸骨は。』
いひさして骸骨はまた
『いづこより來しぞ、語れ、君、
昨夜よりの騷擾を、
はや語れ。』と搖り動すに、
死屍は口を開かむとすれば、
海水忽ち入り塞ぎて、
苦しげなるを、骸骨は
『陸上に在りしと海中とは、
すべて自ら異れり、
さればしづかに物いふべし。
只骸骨は自在なり。
骸骨の構造は海にありて、
すべての運動に適したり。』
死屍はすなはち徐ろに、
『我は[#「『我は」は底本では「我は」]露西亞の水兵なり。
昨夜旅順の港外にて、
恢復の見込なきまでに
我が軍艦は撃ち破られ、
我等も見るが如くなりぬ。
談話の苦しきこと限りなし、
その他はすべて想像せられよ。』
やうやくこれをいひ畢れば、
『状況はほゞ知悉せり。
されど露西亞は強國なるに
脆からずや。』と訝り問へば、
『我等が國を強國といへど、
恫喝を以て誇るのみ、
世界の人怯懦にして、
我が暴戻を制せむとせず。
義憤にあへばかくの如し。』
骸骨は首肯きて、
『我等も嘗て世界を欺き、
眠れる獅子といひ觸しゝが、
假面はつひに剥がれたり。
弱きものと弱きもの、
君等と我等と睦び居らむ。
我もむかしは孔雀の尾を
飾りし軍帽嚴しく、
尖のひらきたる劔を握り、
進むには必ずしりへに立ち、
退くにはさきに立ちたりしが、
かく骸骨となりたれば、
孰れを孰れと分き難し。
まこと貴賤も貧富もなき
自由平等の樂天地は、
はじめて茲に發見すべし。』
死屍は聞きて嬉しげに、
『好誼ある君達かな。
さらば我も語るべし、
稍物いふに馴れしごとし。
我が艦隊の長官は、
白銀の如く輝きたる
二尾の髯を胸に垂れ、
風采すぐれし老將なれど、
昨夜夫人の誕辰に會ひ、
部下を率ゐて市街に上り、
觀劇に耽りしその隙に、
あはれ突撃を蒙りぬ。
我等もさまで弱きにあらねど、
敵の勁きこと比なきなり。』
骸骨は珍らしき物語を聞き、
『君語れ、またさらに語れ、
我等はもと酒煽り、
婦女子を捉へ辱めしが、
いま無欲なる骸骨となりては、
徒にそを悔い居るなり。』
死屍は意を得しさまに、
『我等が好みもかくのごとし。
強姦奪掠憚らねば、
市街の商人は武裝して、
我が暴行を防がむとす。
されど君責むる勿れ。
我等が一ヶ月の給料は、
好める露酒の一瓶を、
傾け盡すにも足らざるを。』
骸骨は話頭を轉じ、
『たま/\潮の滿干により、
陸地近く行きみれば、
旅順の砲臺は露西亞の手に
經營されし如くなれど、
防備は寸隙もあらざるや。』
『我が恫喝の特性は、
こゝにもよく顯れたり。
兵粮の運輸乏しきに、
兵勇もさまでおほからず。』
骸骨は小首を傾け、
『憐むべし、陸上の兵はまた
我が運命の如くならむ。』
骸骨のいひも竭きざるに、
死屍は脣なほ青褪め、
『さらばわれ守備の兵に
はやく告げて去らしめむ。』と
鹹水なればかろ/″\と
死屍は泛びあがりしが、
少時にしてまたもどりぬ。
骸骨はみな齊しく、
『水に沈みし者時をふれば、
一たび必ず浮べども、
死屍は再び人間に
還ること叶はぬなり。
人間の死を恐るゝは、
骸骨の慰安を知らねばこそ。
我が腦膸は空虚なれば、
思慮も考察も公平なり。』
死屍は未だ骸骨の言を
了解しえぬさまなれど、
感謝の意を以て握手せしが、
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