に、
滿ちわたる輕き空氣は、
左右縦に横に、
こまやかに振動しつゝ、
畑打の耳|※[#「てへん+櫪のつくり」、294−8]《くすぐ》りて、
響は止まず。

    早春の歌

天の戸ゆ立ち來る春は蒼雲に光どよもし浮きたゞよへり

春立つと天の日渡るみむなみの國はろかなる空ゆ來らしも

蒼雲のそくへを見れば立ち渡る春はまどかにいや遙かなり

おのづから滿ち來る春は野に出でゝ我が此の立てる肩にもあるべし

おほどかに春はあれども搖り動く榛が花にも滿ち足らひたり

そこらくの冬を潛めて雪殘る山の高嶺は浮き遠ぞきぬ

いさゝかも春蒸す土のぬくもればゐさらひ輕み雲雀は立つらむ

麥の葉は天つひばりの聲響き一葉々々に搖りもて延ぶらし

おろそかにい行き到れる春なれや青める草は水の邊に多し

    鷽の歌

うそどりの春がたけぬと鳴く聲に森の樫の木脱ぎすてにけり

うそどりよ汝が鳴く時ゆ我が好む枇杷のはつかに青むうれしも
[#改ページ]

 明治四十一年

    獨

     一
とゝ/\と喚べば馳せ來て、
麥糠にふすまを交ぜし、
餌箱《ゑさばこ》に嘴を聚め、
忙しく鷄は啄む。
そを見つゝ庭に立てば、
家のうち人もなし。
母は今外に在り。
父共に外にあり。
芋植うる曩の日行きて、
芋植ゑて既に久し。
三人なる家族《やから》なれば、
唯一人我は殘れり。
掛梯子昇り行き、
藁の巣に卵うみて、
牝※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《めんどり》の騷ぐ時、
寂しさは纔に破る。
つれ/″\と永き晝、
遠蛙ほのかなり。
濕りたる庭のうち、
はらゝかに辛夷散り、
手桶なる茹菜の中に、
菜の花の匂へる見れば、
世の中は春たけぬらし。
我は只一人居り。
つゝみある身をいたはりて、
我が母は外に在り。
すこやかに今なりて、
歸らむと思へば嬉し。
口髭は常剃りしかど、
剃らざれば延びにけり。

     二
垣隣人をよびて、
口髭を剃らしむれば、
松葉もてつゝくが如し。
芥子坊主剃り殘されて、
只泣きに泣きし此の方、
斯くばかり疼きことなし。
こそばゆき顎をさすり、
春日さす縁に立てば、
ぱら/\とジヨン馳せ來つ。
午餐する茶を沸すと、
草取りに畑へ行きし、
下婢は今かへり來らし。
縁側に足を掛け、
我を見るはしき犬、
煎餅をもて行けば、
前足を胸に屈め、
後足に立ちながら、
ワンといへばワンと吠ゆ。
板の間の猫の皿を、
こと/\と※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]のつゝくに、
シヽといひて我が立てば、
忽ちに※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]追ひ立て、
竹藪に迫《せ》め騷がし、
尾を振りて我が許に來る。
桑畑へ鎌もて行く、
草取りと野に行けば、
桑の木の枝移り鳴く、
頬白に吠えながら
先へ/\駈けめぐると、
人ならば草臥れむ。
砥を立てゝ鎌を研ぎ、
草取の復た行くを見て、
ぱら/\と馳せ行くを、
煎餅もて喚べは[#「喚べは」はママ]戻り、
煎餅の竭きし時、
ジヨンジヨンといへど還らず。
木瓜の葉は花を包みて、
山吹も今は盛りに、
靜かなる眞晝の庭、
はら/\と雀下りて、
其所此所とあさりめぐる。
明日は又雨なるべし

    初秋の歌

小夜深にさきて散るとふ稗草のひそやかにして秋さりぬらむ

植草の鋸草の茂り葉のいやこまやかに渡る秋かも

目にも見えずわたらふ秋は栗の木のなりたる毬のつばら/\に

秋といへば譬へば繁き松の葉の細く遍く立ちわたるめり

馬追虫《うまおひ》の髭のそよろに來る秋はまなこを閉ぢて想ひ見るべし

外に立てば衣濕ふうべしこそ夜空は水の滴るが如

おしなべて木草に露を置かむとぞ夜空は近く相迫り見ゆ

からくして夜の涼しき秋なれば晝はくもゐに浮きひそむらし

うみ苧なす長き短きけぢめあれば晝はまさりて未だ暑けむ

芋の葉にこぼるゝ玉のこぼれ/\子芋は白く凝りつゝあらむ

青桐は秋かもやどす夜さればさはら/\と其葉さやげり

烏瓜《たまづさ》の夕さく花は明け來れば秋を少なみ萎みけるかも

    晩秋雜咏

     即興拾八首

芋がらを壁に吊せば秋の日のかげり又さしこまやかに射す

秋の日に干すはくさ/″\小鍋干す箒草干す張物も干す

葉鷄頭《かまつか》に藁おしつけて干す庭は騷がしくしておもしろきかも

葉鷄頭は籾の筵を折りたゝむ夕々にいやめづらしき

荒繩に南瓜吊れる梁をけぶりはこもるあめふらむとや

はら/\と橿の實ふきこぼし庭の戸に慌しくも秋の風鳴る

おしなべて折れば短くかゞまれる茶の木も秋の花さきにけり

茨の實の赤《あけ》び/\に草白む溝の岸には稻掛けにけり

黄昏の霜たちこむる秋の田のくらきが方へ鴫鳴きわたる

こほろぎははかなき虫か柊の花が散りても驚きぬべし

紅の二十日大根は綿の如なかむなにし
前へ 次へ
全21ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング