蚯蚓かも

胡蝶花の根に籠る蚯蚓よ夜も日もあらじけむもの夜ぞしき鳴く

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二十八日、清澄の谷に錦襖子《かじか》を採りてよめる歌八首のうち
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萱わくるみちはあれども淺川と水踏み行けばかじか鳴く聲

黄皀莢《さるかけ》の花さく谷の淺川にかじかの聲は相喚びて鳴く

鮠の子の走る瀬清み水そこにひそむかじかの明かに見ゆ

我が手して獲つるかじかを珍らしみ包みて行くと蕗の葉をとる

かじか鳴く谷の茂りにおもしろく黄色つらなる猿かけの花

さるかけのむれさく花はかじか鳴くさやけき谷にふさはしき花

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二十九日
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蒼海原雲湧きのぼりひた迫めに清澄山に迫め來る見ゆ

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八瀬尾の谷に日ごと炭燒く人をおとづれてよみし歌のうち一首
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こと足りて住めばともしも作らねど山に薯蕷堀る谷に蕗採る

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三十日、清澄山を下りて小湊を志す、天津の町より道連になりたる若き女は漁夫の妻なりといふ、十里ばかり北の濱より濱荻といふ所にかしづきて既に四とせになれど子もなくて只管に夫を手依りしものゝ、夫は補充兵として横須賀に召集せられむとす、夫の歸らむまでは江戸の舊主のもとをたづねて身をつつしみ居らむと思へど二人が胸には餘りたれば今は故郷なる父母に咨らむとて行くなりといふ。其言惻々として人を動かす、東京といはずして江戸といふ、何ぞ其朴訥なるや、朴訥なるものは世情を知らず、世情を知らざれば則ち悲しむこと多きなり。乃ち彼が心に代りて作れる歌十首のうち
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松魚釣あるみにやりて嘆かぬをいくさといへば心いたしも

清澄の隱るゝ沖に嵐吹き歸らぬ人もありとは思へど

我が背子と夜床に泣けば思ふことかたみいひえず胸には滿つれど

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小湊誕生寺の傍より舟を傭ひて鯛の住むといふ海を見に行きて作れる歌のうち
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妙の浦こゝだも鯛のよる海と鵜の立つ島をさしてぞ漕ぎ來し

海人の子の舷叩き餌をやれば鰭振る鯛のきらゝかに見ゆ

磯※[#「さんずい+和」、第4水準2−78−64]のよろしき日にも鯛のよる貽貝《いがひ》が島は波うちしぶく

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磯傳ひに南のかたへ志して行く
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濱荻の網干す磯ゆ遠くみるあられ松原人麥を打つ

濱荻の磯過ぎくれば麥づくり鎌には刈らず根こじ手に曳く

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和田附近
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あたゝかき安房の外浦は麥刈ると枇杷もいろづくなべてはやけむ

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卅一日、まだきに七浦のやどりを立つ
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人參の花さく濱の七浦をまだきに來れば小雨そぼふる

すひかづら垣根に淋し七浦のまだきの雨に獨り來ぬれば

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野島が崎に至る、巨巖のすき間/\に只さら/\と波のよせ返すのみ、干潮なれば常はえ至るまじき巖のもとをも窺ふ
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おもひこし濤は見なくに異草を野島が崎の巖の間に摘む

白濱の野島が崎の松蔭に芝生に交るみやこぐさの花

巨巖のうへ偃ふ松の静けきに雀が來鳴き雨霽れわたる

濱萬年青しげれる磯をさし出の野島が崎は見えのよろしも

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根本濱遠望
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伊豆の海や見ゆる新島三宅島大島嶺は雲居棚引く

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布良
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布良《めら》の濱かち布刈る女が水を出で妻木何焚く菜種殼焚く

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館山灣
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萍の菱の白花々々と小波立てり海平らかに

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六月一日、館山灣の北を扼する大房の岬に遊ぶ
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かさご釣る磯もしづけみ頬白の鳴くが淋しきこれの遠崎

おもしろき岬の松の繩繋ぎ犢の牛に草飼ふところ

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二日、孝子塚を見る、孝子は名を伴家主といふ、父母の歿後その像を刻みて之に仕ふること生けるが如く終身渝ることなし、朝廷嘉賞して租税を免ず、事は仁明天皇の承和年間に係る、爾來一千年此郷の士人碑を國分寺に建てゝ之を頌す、近年復た萱野の地に建碑の擧あり、刻むに菊池容齋描く所の伴家主の像を以てせり。
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茅花さく川のつゝみに繩繋ぐ牛飼人に聞きて來にけり

いにしへもいまも同じく安房人の誇りにすべき伴家主《あたへぬし》これ

伴家主おやを懷ひし眞心は世の人おもふ盡くる時なく

うらなごむ入江の磯を打ち出でゝおやにまつると鯛も釣りけむ

父母のよはひも過ぎて白髪の肩につくまで戀ひにけらしも

麥つくる安房のかや野の松蔭に鼠麹
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