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七日、船觀音崎に入る
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しづかなる秋の入江に波のむた限りも知らに浮ける海月《くらげ》か
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十三日、郷に入り鬼怒川を過ぐ
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異郷もあまた見しかど鬼怒川の嫁菜が花はいや珍らしき
わせ刈ると稻の濡莖ならべ干す堤の草に赤き茨の實
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我がいへにかへりて
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めづらしき蝦夷の唐茄子蔓ながらとらずとぞおきし母の我がため
唐茄子は廣葉もむなし雜草《あらぐさ》の蚊帳釣草も末枯にして
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明治三十九年
鬼怒沼の歌
上
脚にカルサン、肩に斧、
樵夫分け入る鬼怒沼山、
藤の黄葉に瑠璃啼きて、
露冷けき樹の間を出で、
薄に交る※[#「木+若」、第3水準1−85−81]の栗、
上枝の毬に胸を擦る。
黄苑は、たかくさきほこり、
せむのうの花朱を流す、
たをりの草に朗かに、
白銅磨く湖の水。
山の秀ゆるく四方に遶り、
まどかに覆ふ秋の天。
桔梗短くさき浸る、
汀に寄らす天少女、
玉松が枝に領巾解き掛け、
湖水に、糸をさらし練る。
燃ゆるが如き糸引けば、
紅うつくしく澄める水、
白糸練れば忽ちに、
たゝへし水は白銀の如。
青糸解きて打ち浸せば、
琅※[#「王+干」、第3水準1−87−83]にほふ底の石。
七彩糸と管に巻く、
小※[#「竹かんむり/隻」、第3水準1−89−69]の糸を引き延べて、
十二の筬に機足踏む。
十二の聲の玉響き。
諸手の眞梭の往きかひに
衣手輕くさゆらぐや、
譬へば霧のさや/\と、
山の梢を渡る如。
妙なる機の聲を慕ひ、
擔ひし斧を杖つきて、
我を忘れて聽く樵夫。
風鐸遠く野に響き、
落葉が下に水咽ぶ。
八十尋錦巻き抱き、
迎ふる雲の穗に乘りて、
振りかへりみる鬼怒沼媛、
はじめて仰ぐ天女の面曲。
御衣も御くしも悉く、
黄金の光眼を射る。
黄雲ながく尾を引きて、
黄金の瀲※[#「さんずい+猗」、第3水準1−87−6]湖に搖り、
金線繁りぬ、玉松の葉。
掌大の花さき滿ちて、
花悉く金覆輪。
花瓣重く傾きて、
甘露の水の滴るを、
啜りて醒めぬ、悲しき樵夫。
ふとしき樫の柄も朽ちて、
大地に、斧は錆びつきぬ。
身を沒したる雜草に、
穗向の風の騷立ちて、
我を駭く湖畔の夕。
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