江のや田上山は雲に日かげる
[#ここから6字下げ]
息吹の山をいや遙にみて
[#ここで字下げ終わり]
天霧ふ息吹の山は蒼雲のそくへにあれどたゞにみつるかも
[#ここから6字下げ]
極めてのどかなる湖のうへに舟のあまた泛びたるをみて
[#ここで字下げ終わり]
近江の海八十の湊に泛く船の移りも行かず漕ぐとは思へど
[#ここから6字下げ]
丹波の山々かくれて夕立の過ぎたるに辛崎のあたりくらくなりたれば
[#ここで字下げ終わり]
鞍馬嶺ゆゆふだつ雨の過ぎしかばいまか降るらし滋賀の唐崎
[#ここから6字下げ]
八月一日、嵐山に遊ぶ、大悲閣途上
[#ここで字下げ終わり]
さや/\に水行くなべに山坂の竹の落葉を踏めば涼しも
[#ここから6字下げ]
二日、ひるすぐるほどに奈良につく、ありといふ鹿のみえざるに、訝しみて人にとへば山に入りけむといへば
[#ここで字下げ終わり]
春日野の茅原を暑み森深くこもりにけらし鹿のみえこぬ
春日山しげきがもとを涼しみと鹿の臥すらむ行きてかも見む
[#ここから6字下げ]
嫩草山にのぼるに萩のやうなるものゝおびたゞしくおひたるが、さゝやかなる白きはなのさかりにさきたるを、捨てがたく思へば麓なるあられ酒うる家の主にきくに、草萩といふといへば
[#ここで字下げ終わり]
みれど飽かぬ嫩草山にゆふ霧のほの/″\にほふくさ萩の花
[#ここから6字下げ]
三日、大和國たふの峰にやどりて梟のなくをきゝてよめる
[#ここで字下げ終わり]
ゆふ月のひかり乏しみ樹のくれの倉梯山にふくろふのなく
[#ここから6字下げ]
四日、初瀬へ行くに艾うる家のならびたれば
[#ここで字下げ終わり]
こもりくの初瀬のみちは艾なす暑けくまさる倚る木もなしに
[#ここから6字下げ]
三輪山へいたる途にて
[#ここで字下げ終わり]
味酒三輪のやしろに手向けせむ臭木の花は翳してを行かな
[#ここから6字下げ]
三輪の檜原のあとゝいふを、山守にみちびかれてよみける
[#ここで字下げ終わり]
櫛御玉《くしみたま》大物主の知らしめす三輸の檜原は荒れにけるかも
[#ここから6字下げ]
耳なしの山をのぞむ、木立のいやしげきに梔の木のおほきといへば
[#ここで字下げ終わり]
耳なしの山のくちなし樹がくりにさく日のころは過ぎにけらしも
[#ここから6字下げ]
五日、橿原の宮に詣づ
[#ここで字下げ終わり]
葦原や八百湧きのぼる滿潮の高知りいます神の大宮
[#ここから6字下げ]
やしろの庭のかたほとりに、かたばかりなる葦原あり、そこに水汲む井のありければよめる
[#ここで字下げ終わり]
橿原の神の宮居の齋庭には葦ぞおひたる御井の眞清水
橿原の宮のはふりは葦分に御井は汲むらむ神のまに/\
[#ここから6字下げ]
橘寺より飛鳥へ行くみちのかたへに逝囘の丘といふにのぼりて
[#ここで字下げ終わり]
たびゝとの逝囘《ゆきき》の丘の小畠には煙草の花はさきにけるかも
[#ここから6字下げ]
八日、大阪より伊勢へこえむと木津川のほとりを過ぎて
[#ここで字下げ終わり]
やま桑の木津のはや瀬ののぼり舟つな手かけ曳く帆はあげたれど
[#ここから6字下げ]
伊勢路にいりてよめる
[#ここで字下げ終わり]
日をへつつ伊勢の宮路に粟の穗の垂れたる見れば秋にしあるらし
[#ここから6字下げ]
九日、志摩の國より熊野へわたる船にのりてよめる
[#ここで字下げ終わり]
加布良古の三崎の小門をすぎくれば志摩の浦囘に浪立ち騒ぐ
麥崎のあられ松原そがひみにきの國やまに船はへむかふ
[#ここから6字下げ]
十日、よべ一夜は船にねて、ひる近きに勝浦といふところへつく、船のなかより那智の瀧をみる、かくばかりなる瀧の海よりみゆる、よそにはたぐひもなかるべし
[#ここで字下げ終わり]
三輪崎の輪崎をすぎてたちむかふ那智の檜山の瀧の白木綿
[#ここから6字下げ]
那智の山をわけて瀧の上にいたりみるに谷ふかくして、はろかに熊野の海をのぞむ
[#ここで字下げ終わり]
丹敷戸畔丹敷の浦はいさなとる船も泛ばず浪のよる見ゆ
谷ふかみもろ木はあれど杉がうれを眞下に見れば畏きろかも
[#ここから6字下げ]
やどりの庭よりは谷を隔てゝまのあたりに瀧のみゆるに、月の冴えたる夜なりければふくるまでいも寢ずてよみける
[#ここで字下げ終わり]
眞熊野の熊野の浦ゆてる月のひかり滿ち渡る那智の瀧山
みれど飽かぬ那智の瀧山ゆきめぐり月夜にみたり惜しけくもあらず
眞熊野や那智の垂水の白木綿のいや白木綿と月照り渡る
ひとみなの見まくの欲れる那智山の瀧見るがへに月にあへるかも
このみゆる那智の山邊にいほるとも月の照る夜はつねにあらめやも
[#ここから6字下げ]
十一日、つとめて本宮へこえむと、大雲取峠といふをわたるに暑さはげしくしてたへがたければ、しば/\水をむすびて喉をうるほす
[#ここで字下げ終わり]
虎杖のおどろが下をゆく水の多藝津速瀬をむすびてのみつ
眞熊野の山のたむけの多藝津瀬に霑れ霑れさける虎杖の花
[#ここから6字下げ]
さらに小雲取峠といふにかゝる、木立稀なれば暑さいよいよきびしくして思ひのまゝにはえもすゝまず、汗おし拭ひてはやすらひやすらふ程に、羊齒のしげりたるを引きたぐりてみれば七尺八尺のながさなるを、珍らしく思ふまゝにをりて持て行くとて
[#ここで字下げ終わり]
かゞなべて待つらむ母に眞熊野の羊齒の穗長を箸にきるかも
[#ここから6字下げ]
十二日、熊野川へそゝぐきたやま川といふ川ののぼりに瀞《どろ》八丁といふをみむと竹筒といふところより山を越えて
[#ここで字下げ終わり]
竹筒《たけと》のや樛の木山の谷深み瀬の音はすれど目にもみられず
[#ここから6字下げ]
十三日、舟にて熊野川を下る
[#ここで字下げ終わり]
熊野川八十瀬を越えてくだりゆく船の筵にさねて涼しも
[#ここから6字下げ]
十四日、きのふ新宮より七里の松原を海に添ひて木《き》の下《もと》まで行かむと日くれぬれば花の窟といふところのほとりにやどりて、つとめておきいでゝ窟を拜む、とほくよりきたれる山の脚のにはかにこゝにたえたるさまにて、岩の峙ちたるに潮のよせきて穿ちけむと思はるゝ穴のところ/″\にあきたるめづらかなり、沖は※[#「さんずい+和」、第4水準2−78−64]ぎたれば磯うつ浪もゆるやかなるを、窟にひゞくおとのとゞろ/\と鳴るさま凄まじきばかりなるに、あれたらむほどのこと思ひやらる、伊弉册神をこゝにはふりまつりけるよしいひつたへて、昔より蜑どもの花をさゝげてはいつきまつりけるところと聞きて
[#ここで字下げ終わり]
鯖釣りに沖こぐ蜑もかしこみと花たむけしゆ負へるこの名か
眞熊野の浦囘にさける筐《はこ》柳われもたむけむ花の窟に
[#ここから6字下げ]
熊野より船にて志摩へかへると、夜はふねに寢てあけがたに鳥羽の港につきてそこより伊勢の海を三河の伊良胡が崎にいたる
[#ここで字下げ終わり]
三河の伊良胡が崎はあまが住む庭のまなごに松の葉ぞ散る
[#ここから6字下げ]
十六日、つとめて伊良胡が崎をめぐりてよめる
[#ここで字下げ終わり]
いせの海をふきこす秋の初風は伊良胡が崎の松の樹を吹く
しほさゐの伊良胡が崎の萱《わすれ》草なみのしぶきにぬれつゝぞさく
[#ここから6字下げ]
十七日、駿河の磯邊をゆきくらして江尻までたどり行かむとてよめる
[#ここで字下げ終わり]
清見潟三保のよけくを波ごしに見つゝを行かむ日のくれぬとに
[#ここから6字下げ]
十八日、箱根の山をわたりてよめる
[#ここで字下げ終わり]
箱根路を汗もしとゞに越えくれば肌冷かに雲とびわたる
まつがさ集(四)
[#ここから6字下げ]
西のみやこを見にまかりてまる山といふところにいきけり、芋棒となむいふいへに入りてひるげしたゝむる程に、あとよりきたる女どもの、さかり傾ぶきしよはひにも有らねば、はでやかなるさまに粧ひけるが、隣の間へいりたるを、暑き日のさかりとて隔ての葭戸は明け放ちたるまゝなりければ、京の女といふもの珍らしく思ひて見る程、怪しくも帶解きやり帷子なりけるが片へに脱ぎ捨てゝゆもじばかりになりてぞ酒汲みはじめける、はしたなき女どもの振舞かなと、興さめ果てゝむな苦しくぞおぼえしや、只管によき衣の汗ばみて汚れなむことを恐れけるとかや、後になりてぞ聞き侍りし
[#ここで字下げ終わり]
からたちの荊棘《いばら》がもとにぬぎ掛くる蛇の衣にありといはなくに
篠のめをさわたる蛇の衣ならばぬぎて捨てむにまたも着めやも
[#ここから6字下げ]
比叡の山のいたゞきなる四明が嶽にのぼりて雨にあひ、草の茂りたる中を衣手しとゞに沾れて八瀬の里へ下らむと、祖師堂のほとりに出づ、杉深くたちこめたる谷をうしろに白木槿のやうなる花のさきたる樹あり、沙羅雙樹といふといふ、耳には馴れたれども目にはいまはじめてなり、まして花のさかりなれば珍らしきこと極りなし、暑さを冒してきたりけるしるしもこそありけれとてよみける
[#ここで字下げ終わり]
比叡の嶺を雨過ぎしかばうるほへる杉生がもとの沙羅雙樹の花
杉の樹のしみたつ比叡のたをり路に白くさきたる沙羅雙樹の花
比叡の嶺にはじめて見たる沙羅の花木槿に似たる沙羅雙樹の花
暑き日を萱別けなづみ此叡の嶺にこしくもしるく沙羅の花見つ
倭には山はあれども三佛の沙羅の花さく比叡山我は
[#ここから6字下げ]
八月四日、法隆寺を見に行く、田のほとりに、あらたに梨をうゑたるを見てよめる
[#ここで字下げ終わり]
あまたゝび來むと我はもふ斑鳩《いかるが》の苗なる梨のなりもならずも
[#ここから6字下げ]
はじめの月見の日なりけるが、ゆふまけて嫗の畑へ芋堀りに行きけるを、その家の下部なるものゝ、駒引き出して驅けめぐりける間に、いたくもあれいでゝ止むべくもあらずなりて、思ひもかけず主の嫗を蹄にかけゝれば、肉やぶれ骨挫けてやがていく程もなくて死にけり、人々悲しむこと限りなく、しばらくありて後そこへ幣たてきと、ありけることゞもつたへ云ふを聞きてよめる
[#ここで字下げ終わり]
世の中にしれたる人の駒たくと過ちせしより悔いてかへらず
垂乳根の母をゆるして芋堀りにかゝらむと知らば行かざめや行けや
あら駒の蹄のふらくと知らませばやらめや人の母を思はず
垂乳根の母が子芋を皿にもり見むと思ひし月にやもあらぬ
おもしろとめづる月夜を垂乳根の母をいたみて泣くか長夜を
秋の夜のなが夜のくだち眞痛みに泣きけむ母をもりがてにけむ
あやまちを再びそこにあらせじと幣はもおくか駒の足《あ》の趾《と》に
雜咏十六首
しろたへの衣手寒き秋雨に庭の木犀香に聞え來も
秋の田のわせ刈るあとの稻莖に煩しくのこるおもだかの花
とき待ちて穗にたちそめしおくて田の花さくなべにわさ田刈り干す
秋の日の日和よろこび打つ畑のくまみにさける唐藍の花
我門の茶の木に這へる野老蔓《ところづら》秋かたまけていろづきにけり
さら/\に梢散りくる垣内にはうども茗荷もいろづきにけり
なぐはしき嫁菜の花はみちのへの茨がなかによろぼひにさく
うねなみに作れる菊はおしなべて下葉枯れゝどいまさかりなり
小春日の庭に竹ゆひ稻かけて見えずなりたる山茶花の花
鋏刀《はさみ》持つ庭作り人きりそけて乏しくさける山茶花の花
こぼれ藁こぼれし庭のあさ霜にはらゝに散れる山茶花の花
つゆしもの末枯草の淺茅生に交りてさける紅蓼の花
冷やけく茶の木の花にはれわたる空のそくへに見ゆる秋山
馬塞垣に繩もて括る山吹のもみづる見れば春日おもほゆ
筑波嶺ははれわたり見ゆ丘の邊の唐人草の枯れたつがうへに
鬼怒川をあさ越えくれば桑の葉に降りおける霜の露にしたゞる
[#ここから5字下げ]
佛の山を過ぎてよめる歌并短歌
[#ここから6字下げ]
佛の山は常毛二州に跨る、阪路險悪、近時僅
前へ
次へ
全8ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング