げ]
十一日、つとめて本宮へこえむと、大雲取峠といふをわたるに暑さはげしくしてたへがたければ、しば/\水をむすびて喉をうるほす
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虎杖のおどろが下をゆく水の多藝津速瀬をむすびてのみつ

眞熊野の山のたむけの多藝津瀬に霑れ霑れさける虎杖の花

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さらに小雲取峠といふにかゝる、木立稀なれば暑さいよいよきびしくして思ひのまゝにはえもすゝまず、汗おし拭ひてはやすらひやすらふ程に、羊齒のしげりたるを引きたぐりてみれば七尺八尺のながさなるを、珍らしく思ふまゝにをりて持て行くとて
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かゞなべて待つらむ母に眞熊野の羊齒の穗長を箸にきるかも

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十二日、熊野川へそゝぐきたやま川といふ川ののぼりに瀞《どろ》八丁といふをみむと竹筒といふところより山を越えて
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竹筒《たけと》のや樛の木山の谷深み瀬の音はすれど目にもみられず

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十三日、舟にて熊野川を下る
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熊野川八十瀬を越えてくだりゆく船の筵にさねて涼しも

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十四日、きのふ新宮より七里の松原を海に添ひて木《き》の下《もと》まで行かむと日くれぬれば花の窟といふところのほとりにやどりて、つとめておきいでゝ窟を拜む、とほくよりきたれる山の脚のにはかにこゝにたえたるさまにて、岩の峙ちたるに潮のよせきて穿ちけむと思はるゝ穴のところ/″\にあきたるめづらかなり、沖は※[#「さんずい+和」、第4水準2−78−64]ぎたれば磯うつ浪もゆるやかなるを、窟にひゞくおとのとゞろ/\と鳴るさま凄まじきばかりなるに、あれたらむほどのこと思ひやらる、伊弉册神をこゝにはふりまつりけるよしいひつたへて、昔より蜑どもの花をさゝげてはいつきまつりけるところと聞きて
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鯖釣りに沖こぐ蜑もかしこみと花たむけしゆ負へるこの名か

眞熊野の浦囘にさける筐《はこ》柳われもたむけむ花の窟に

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熊野より船にて志摩へかへると、夜はふねに寢てあけがたに鳥羽の港につきてそこより伊勢の海を三河の伊良胡が崎にいたる
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三河の伊良胡が崎はあまが住む庭のまなごに松の葉ぞ散る

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十六日、つとめて伊良胡が崎をめぐりてよめる
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いせの海をふきこす秋の初風は伊良胡が崎の松の樹を吹く

しほさゐの伊良胡が崎の萱《わすれ》草なみのしぶきにぬれつゝぞさく

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十七日、駿河の磯邊をゆきくらして江尻までたどり行かむとてよめる
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清見潟三保のよけくを波ごしに見つゝを行かむ日のくれぬとに

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十八日、箱根の山をわたりてよめる
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箱根路を汗もしとゞに越えくれば肌冷かに雲とびわたる

    まつがさ集(四)

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西のみやこを見にまかりてまる山といふところにいきけり、芋棒となむいふいへに入りてひるげしたゝむる程に、あとよりきたる女どもの、さかり傾ぶきしよはひにも有らねば、はでやかなるさまに粧ひけるが、隣の間へいりたるを、暑き日のさかりとて隔ての葭戸は明け放ちたるまゝなりければ、京の女といふもの珍らしく思ひて見る程、怪しくも帶解きやり帷子なりけるが片へに脱ぎ捨てゝゆもじばかりになりてぞ酒汲みはじめける、はしたなき女どもの振舞かなと、興さめ果てゝむな苦しくぞおぼえしや、只管によき衣の汗ばみて汚れなむことを恐れけるとかや、後になりてぞ聞き侍りし
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からたちの荊棘《いばら》がもとにぬぎ掛くる蛇の衣にありといはなくに

篠のめをさわたる蛇の衣ならばぬぎて捨てむにまたも着めやも

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比叡の山のいたゞきなる四明が嶽にのぼりて雨にあひ、草の茂りたる中を衣手しとゞに沾れて八瀬の里へ下らむと、祖師堂のほとりに出づ、杉深くたちこめたる谷をうしろに白木槿のやうなる花のさきたる樹あり、沙羅雙樹といふといふ、耳には馴れたれども目にはいまはじめてなり、まして花のさかりなれば珍らしきこと極りなし、暑さを冒してきたりけるしるしもこそありけれとてよみける
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比叡の嶺を雨過ぎしかばうるほへる杉生がもとの沙羅雙樹の花

杉の樹のしみたつ比叡のたをり路に白くさきたる沙羅雙樹の花

比叡の嶺にはじめて見たる沙羅の花木槿に似たる沙羅雙樹の花

暑き日を萱別けなづみ此叡の嶺にこしくもしるく沙羅の花見つ

倭には山はあれども三佛の沙羅の花さく比叡山我は

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八月四日、法隆寺を見に行く、田のほとりに、あらたに梨をう
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