つた。彼は唯慇懃に會釋した。褪めた唐棧の衣物を着た彼は今大きな店の主人になるものとはどうしても見えない。それでも他の客と異つてどつしりした態度が青年には稀な狎れ難い所があるので不審とでもいふのか女は一寸こんなことを噺しかけて稍情を含んだ眼で時々彼を偸み視た。
「つかないことをお聞き申すやうですがあなたはどちらでしたね、どうもお見掛け申したやうですが」
小商人らしいのが女に聞いた。
「私ですか、私は水戸ですよ」
「はあさうでしたか、其所まで聞いちや何ですが何かなすつてお出でなさるんでせうね」
小商人は工夫等のやうな不作法なことは有繋にいはぬが夫でも少しは戲談の口調でかう尋ねた。
「これでも私は商賣人なんですよ」
商賣人といふ女の返辭は車中の耳目を峙てしめた。商賣人といふことを解釋した工夫等は前よりも遠慮なしに饒舌つた。それでも女を赤面させるには足りなかつた。車中の一切を餘所にして襟卷に顎を埋めて居た彼も水戸と聞いて少し首を擡げた。さうして遂賑かさにひかされて此も耳を峙てた。悲しい時でさへも人は笑ふことを禁じえぬのである。又一度立場へ止つて馬車は目的地の或町へ近づいた。彼は町の入口で
前へ
次へ
全13ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング