きな店の主人に成ることではあるが眞實まだ本當の商人には資格が備らぬ樣な氣もして成らぬのである。然しながら彼の希望は彼の精神を作興し彼を活かしたことは事實である。洋々たる前途を思ふ時彼は何時も身體に力がはひつてぶる/\つと震へる樣に感ずるのである。彼はかうした責任の重い身を水戸から汽車に搖られて來た。さうして野中の道を又馬車に揉まれつゝ行くのである。馬車は停車場からすぐに遠く開けた田甫へ出て南へ走る。刈田を渡る西風は依然として強く、垂れたズツクを飜して吹く。田甫が盡きて小さな坂一つ上れば麥畑へ出る。乾燥した麥畑は埃で霧が立つたやうである。とある村で馬車はとまる。馭者はかじけた手で柄杓の柄を握つて馬の口をしめす。立場の婆さんが煙草の火とそれから九人前の茶を出す。一番端に居る女は盆を受取つて
「さあ皆さんどうです」
 盆を先へ廻さうとする。
「まあどうぞさうして」
「どうもあなたの手からの方が甘いやうですから」
 抔と例の工夫は戲談を止めない。女はまた左の手に盆を持つた儘敷島に火を點けた。茶碗がみんな盆へもどつて五厘の銅貨が一つ宛茶碗の底にはひつた時女は帶の間から二錢の銅貨を出してぽんと盆へ
前へ 次へ
全13ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング