。そんな心持からさつき女の荷物も態々とつてやつた譯で彷徨つて居た二ヶ月前の彼とは全く異つて居た。今此の極月の末といふに開店して初荷の賣出しを樂まうといふ手筈で店の方は大抵極りもついたし、彼は此を老いたる父母に告げようとして一先づ其家へ歸りつゝあるのである。
 彼はかういふ寒い日に麻の財布を肩にして草鞋穿で掛取に歩かせられたことが數次である。さうして兎に角縁のすれた小倉の角帶へ紺の前垂の紐を結んでぽんとそこを手の平で叩いた時はどう見ても番頭とより外見えぬ丈に其習慣は商人らしい姿に成つて居るのである。隨つて彼の頭は分時も商業を去らないのであるが何といつても年は若いし嘗て自分が主になつて營業したことがないので今一軒の店を持つと成ると身に餘るやうな心持にもなるし、熾な希望と共に何處かに不安の念が蟠つて時には非常な取越苦勞もすることがある。比較的どつしりとはして居ても心の内はそわ/\と落付かないやうで近來は新聞を讀んで居ても酷く身にしみないといふやうな状態で絶えず心の底からむか/\と或物が込み上げて來るやうに感じて居る。顧客はどうしてつくるといふ胸算はあるけれども一人でもまだ定まつては居ない。大
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