は後の障子を開けて外を見た。往來を隔てゝ高くアーク燈が立つて居る。其丸いホヤから四方へ投げ出す強い光であたりが煌々として居る。アーク燈の傍に大きな柳が一株すつと立つて枝を垂れて居る。樹は嫩葉を以てふつくりと包まれて居る。ホヤに觸れるばかり近い枝は強い光の爲に少し白つぽく見える。陰翳をなして居る所が却て青い。さうして總てが刺繍の如き光を有して居る。アーク燈の光を翳して見る闇い空は天鵞絨の如く滑かに見える。余は其形容し難い空の色彩に見惚れた。河井さんは此の空の色を葡萄紫だといつた。蛙の聲が錯雜して遠いやうに且つ近いやうに響いて空に浮んで聞えて居る。仲居のおゑんさんが階子段から呼ばれて去つた後に別な仲居が代つた。おゑんさんよりも年は少いが痘痕のある品下つた女である。おせいさんといつた。おせいさんは騷ぐ方の女である。ふと聞くとしんとした往來から下駄を引き摺るやうな響が輕くからり/\と聞えて來る。快い響である。河井さんは太夫が來たのだといつた。余は表を見下した。格子に遮られて能くは見おろせなかつた。きら/\と光るのは花簪である。アーク燈の光を一杯に下から反射する花簪は柱の蔭に居た太夫のよりも立派
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