には皆緞子が張つてある。さうして此も皆ほんのりと時代を帶びて居る。地味な支度の卅恰好の女が出て挨拶をした。河井さんは此がおゑんさんというて別嬪の仲居だといつた。女は仄かに嫣然として打ち消すやうに輕く手を擧げた。鼻筋の透つたきりゝとした女である。酒が運ばれた。小さな手提げのやうな器が共に運ばれた。女は其器から小皿を出した。河井さんは此の人が明日道中を見物に來るから能く注意してくれと余を紹介した。女はさうどつかというて小皿を出した手を止めもせず、丼のかき餠をさらりと十ばかりづゝ盛つて河井さんと余との前へ置いた。此が肴であるとすると其あつさりしたのに驚かれる。河井さんは一二杯より外は傾けぬ。余も一杯を過す事は出來ない。河井さんは意外に無言の人である。大廣間は只しんとしすぎて居る。其の上周圍のどこにも爪彈の聲だに聞えぬ。拍子拔のやうな心持で居ると、窓のすぐ下でバタ/\と戸板を手の平で叩くやうな音がした。余は耳を峙てた。今太夫が此の家へ來るのだと河井さんがいつた。さうして太夫の長持を舁ぎ込む時にあゝいふ音をさせるのだといつた。どうしてさういふ音がするのか其説明は余には十分には了解されなかつた。余
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