る。店には煤けた障子が締め切つてあつて障子の破れがふら/\と搖れる。此怪しげな茶店で峠で切つた草鞋を穿きかへる。旅客の穿き捨た草鞋が障子の蔭に堆く積んである。ぬるい茶をのみながら女房がしみ/″\といふ噺をきく。湖水は以前は萱原であつたが磐梯山が破裂した時に土灰が一方を塞いだ爲め水は落ち行く瀬を失つて此の如く湛へたのである。湖水の底には四ヶ村が埋沒して居る。二十戸の村で纔に七人のみが生きた所もある。最も悲慘であつたのは山の畑へ稼ぎに行つた老人である。磐梯山にあのやうな烟の立つ筈はない。山の凶事であるかも知れぬと二人の子を促して慌てゝ駈け出したのであつた。二人の男の子は血氣であつただけに危い命を拾つて逃げおほせたが老人は足のつゞかなかつた計に何處で泥土に埋まつたか遂に歸つて來ない。破裂のあとは七日まで山の鳴動が止まぬので檜原の村では家財を悉く馬に乘せて夜は殊に恐ろしさに堪へ兼ねて逃げようとしては流石に躊躇して夜を明すといふうちに山の騷ぎが止んだのである。知つた人が埋つて居ると思ふと船で渡るのも心持が惡いといつて女房はぽつさりとする。榾が燻ぶつて青い烟が天井をめぐる。
茶店のうしろには疎ら
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