いたり樹を搖ぶる眞似をしたりして騷いだけれど彼等は一向平氣で枝をゆさ/\と搖して居る。猿といふものは何處で見ても剽輕なものである。道者の一行が騷いで居るうちに先達は一人で行つてしまつたかして後姿も見えなくなつた。ばら/\と先達の後を追ひ掛けながら道者の一人がいふのを聞くと、此前に來た時は猿が丁度栗を搖り落した所へ通りかゝつたのでみんな拾つてしまつたら枝から糞をかけられたといふのであつた。
▲烏
山巓の小さな社の縁《えん》へ腰をかけて一行の者は社務所で呉れた紙包の握飯をひらいた。縁先には僅かに二坪ばかりの芝生がある。何處から來たか烏が二羽來て一羽は芝生のめぐりに立つた樹木のとある枯枝へとまつて一羽は足もとへおりた。おりた烏は嘴をあげたり首を曲げたりして握飯が欲し相に見て居る。余は鹿の土産がまだあつたので投げてやつたら、ひよいと一跳ね跳ねてそれを咥へて元の處へ戻つて足で押へて啄むのである。さうして又嘴をあげたり首を曲げたりして見て居る。握飯を包んだ紙を投げてやつたら嘴で引返し/\して其紙の中の飯粒を啄むのである。幾百千の參詣者が繰り返し/\登山するので烏までがこんなに馴れてしまつたものであらうが、深い木立の間を雲霧にぬれて漸く山巓について何となし人寰を離れた感じで居る所へこんな烏が飛んで來たのは更に別天地のやうに思はれた。一人が握飯の食ひ殘しを呉れたら何と思つたかそれを咥へた儘霧深い谷をさして飛んでしまつた。飛ぶ時に咥へた握飯がぼろりと缺けて芝の上へ落ちた。枯枝に止つて居た一羽はこちらを見おろして居たが遂におりては來なかつた。さうして此も大きな聲で鳴いたと思つたらついと芝の上の飯をさらつて飛んで行つた。外洋の霧は山陰の梢を吹きあげて蓬々として更に吹きおろす。木の葉が交つて飛び散る。
▲鹿の糞
霧の吹きつけるなかを山蔭へおりる。やつぱり樹木が深くて坂が急である。だん/\おりて行くうちに霧が薄らいで枯れた梢の間から空が朗かに見え出した。又誰か後の方で鹿々と呶鳴つた。あれ/\と一人が指して居る方を見たら其時はピオウと鳴いた聲ばかりで鹿は見えなかつた。ピオウと復た鳴いた時は聲が遙かに遠くなつて、三聲鳴いた時はやつと聞き取れる程であつた。
深い樹立を出ると疎らな赤松が見え出して窪んだ草原のやうな所になつた。先達は皆さん此所は不淨場でありますといつて自分が先に小便をした。一行の者も皆小便をした。草の中には羊齒の葉が秀てゝ既に枯れた自然生の芍藥も交つて居る。此所からすぐに海へ出る。岸は皆削りたつた大きな巖である。斷面には縱横に切れ目があつて恰も十文字に繩を掛た大荷物が問屋の庭に積み揚げられたやうな形である。小徑は此斷崖の上をめぐりめぐつて北へ走る。一行はばら/\になつて先達に跟いて行く。左を仰いで見ると鬱蒼たる山の巓は頭に掩ひかぶさつた樣で其急峻な山の脚は恰かも物蔭から大手を開いて現はれた人が奔馬をばつたり喰ひ止めた樣に此小徑で切斷されて居る。小徑については到る所青芝と糸薄が茂つて居る。さうして糸薄の中には疎らに赤松が聳えて居る。時々鹿に逢[#「逢」は底本では「蓬」]ふことがある。山蔭に居る鹿は能く馴れては居らぬと見えて屹度逃げて行く。一つか二つか離れて居るのがひよつこり人を見ると非常に狼狽して草村を跳ねて逃げて行く。糸のやうな脚で跳ねるのがふわ/\とした綿の上でも跳ねるかと思ふ樣に見えて如何にも輕げである。驚いて逃げる時にピオウと細い聲で鳴き捨てるのである。五六匹も揃つて居るといふと躰と躰と押し合ふ樣にして或距離の所まで行くとけろつとして何時までもこちらを見送つて居る。無邪氣なものである。鹿の尻はモツコ褌をはめた樣だなシといふ聲が又後の方から聞えた。大箱の岬といふ札の立つた所へ出た。急な山の脚が海へ踏ん込む前に青芝の小山を拵へて其小山の頂近くから截斷して海へ捨てゝしまつた時に恐ろしい懸崖が出來た。此が大箱の岬である。四つに偃うて覗いて見るとさら/\と僅に碎くる白波が遙かの下の方である。其遙かな下の方に小さなものが動くやうに見える。それがだん/\昇つて近づく所を見ると一匹の小さな蝶であつた。暫く見て居たら心持が惡いやうになつた。大箱の岬を覗くものは馬鹿だといふのだと道者がいつた。青芝は地にひつゝいた樣で綺麗である。鹿が此芝をくひに來ることがあると見えて豆粒のやうな鹿の糞がころ/\と轉がつて居る。青芝の上に休んで居ると何時の間にか蝶は懸崖の面を舞ひあがつたものと見えて小さな黄色い羽をぴら/\と動かしながらめぐりめぐつて鹿の糞へとまつた。際涯もない外洋を望むと今日ばかり波がないのかと思ふ程平靜である。余は一朝暴風が此平靜な海を吹き亂して雲と相接して居る父X線の先の先から煽り立てゝ來る激浪が此の大箱の懸崖に吼えたけびてしぶきのとばしりが此の
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