遲く彼は卵屋へ行つた。此頃は毎日村のどこからかとん/\と箱篩《はこふるひ》の音が竹藪を洩れて聞える。田舍の正月が近づいたので其用意に蕎麥や小麥や蜀黍の粉を挽くのである。卵屋でも此晩蕎麥粉を挽いてる所であつた。お袋は顏から衣物から埃のやうに粉を浴びて莚の上で箱篩の手を動かして居る。親爺は癲癇持の太一と二番挽の糟を挽いて居る。四つ又はくゞり戸開けてはひるとすぐに石臼へ手を貸した。石臼はぐる/\と輕くめぐる。
「寒い思して態々|節挽《せちびき》の傭に來たやうなもんだな」
 と四つ又は笑ひながらいふ。
「當てにもしねえ傭が出來ておれは此れだからうめえな」
 と卵屋も相槌打つて勢よく然かもそろ/\と石臼をめぐす。暫くで蕎麥の糟は全く穴へ掻き込み畢つた。石臼は其儘幾つかごろ/\とめぐして此れで蕎麥挽はやめた。お袋は箱篩の手を止めて上り框《がまち》の冷え切つた火鉢へ粗朶をぼち/\と折り燻べた。煙が狹い家に薄く滿ちた時に火鉢へは燠《おき》が出來て煤けた鐵瓶がちう/\鳴り出した。
「構はねえで篩つておくんなせえ」
 と又四つ又はお袋へ挨拶する。
「篩ふなあしたでもえゝんでがすから」
 とお袋は石臼臺の粉
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