だ兼次さうではないかい」
「さうでがす。なあに辛抱しらんねえやうな女ならわしうつちやつちめえまさあ」
「それでは私がお安を使つておすがを呼び出すやうにしてやるから其の時今いつたやうな手筈にしたがいゝ。其代り屹度辛抱をしなくつちや駄目だよ」
「辛抱するつて云つた日にやわしも屹庭辛抱して見せますから」
 兼次は元氣よく家の仕事をして居た。其頃は土用に入つて間もないのであつたが畑の大豆は莢が急に膨れる。青々とした稻草の根元まで暑さがしみ透つて鰌が死ぬといふ位で、百姓は晝は裸に絲楯《いとたて》を着て仕事をする。夜は裸で蚊帳の中に轉がる頃であつた。其日は丁度祇園祭の日であつた。地上には到る所に強い日光を遮る爲に重く深い緑が其手を擴げられるだけ擴げて繁茂して居る。其でも幾日雨の涸れた畑の陸穗は日中は怺へ切れずに葉先が萎れてしまふ。面倒な日が西の林に落ちた時にやつと日光を遮る一日の役目を果した草木は快げに颯々と戰《そよ》ぎはじめる。それから幾十分の後に漸く百姓の暇な時間が來るのである。然し今日は祭の日であるだけに前日に仕事の一區畫をつけて遊ぶものは朝から遊んで居る。十五夜の月が強く青い滑かな夜の空を
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