ことにあとで獨りで泣いた。晝近くなつて兼次はひよつこり歸つて來た。どうしたのだと聞くと境街道へ連れられて二三里も行くと
「われがことはこゝでうつちやんだ。境へ行くなら此れ眞直だ」
といつて小遣錢をくれて放されたのだといふ。それで親爺の姿が林の角に隱れた時に自分は林傳ひに先廻りをして來たのだといつた。
お袋は仕方がないから暫く親類にでも厄介に成つて居ろといつて自分の巾着をはたいて兼次を出してやつた。親爺は晝過になつて歸つて來た。お袋は
「おら兼こと可愛いからあとで泣いたよ」
とつく/″\いつた。此のお袋が今日まで家内に風波を起さないのはおとなしく我慢をして居るからなので、嘗ては怨みがましいことをいつたことは無かつたのである。
六
此の事のあつてから幾らもたゝぬ内におすがの姿も村には見えなくなつた。兼次が連れ出してしまつたのである。能く/\聞いて見ると此もおすがのお袋が一つで旅費までやつたのだといふことだ。彼等は兼次の叔父が聟に行つて居る栃木の在《ざい》へ辿りついた。叔父は國元へ手紙を出した。返事は至極簡單で只捨てゝ置いてくれとあつた。さうかといつて其儘にはおかれぬわけで叔父は遙々相談に來た。然し卵屋は前段の始末で手のつけやうがない。それから村に居た時分に懇意にした博勞の伊作の處へ行つたがおすがの家でも親族や兄が不服なので駈落するやうな不埓なものはもどすことは出來ないといふことであつた。叔父もそれでは自分が暫く預つて置くことにする外はないと兼次のことに就いては深い骨折をしてくれた四つ又にも逢つて此後とも一切の心配を頼むといふやうに云ひ置いて三日ばかり暇どつて歸つた。叔父のもとでは二人は甚だ愉快な月日を送つた。雜木林を借りて木の根を掘り起してそこへ作つた陸稻をたべた口には栃木在の米は實にうまい。おすがの家には土藏まであるがそれでも日常は石臼で挽いた麥を交ぜた飯をたべて居る。百姓の生涯の希望は大抵鹽鮭を菜《さい》にして米の飯をくふやうに成つて見たいといふ以上はないといつてもいゝ位である。叔父の家は暮しがゆるやかであつたので彼等が口腹の慾を滿足させるには十分であつた。少くとも兼次には叔父が肉身であることゝおすがゞ一緒であることゝで薩張もう苦勞はなかつた。おすがは兼次について居るので幾らか肩身の狹い心持はするが辛いことはちつともなかつた。彼等は精一杯働いた。叔父も忙しい時に思ひ掛けぬ手が殖えたので窃かに悦んで止めておいた。秋がふけた。さうして稻刈の時節になつた。故郷では俎板へ鼻緒をすげたやうな「ナンバ」といふものを穿かなければ刈れないやうな深田もあるが、こゝでは草履穿きで稻刈が出來る。田の中で稻扱をする。仕事がどれでも愉快である。赤城の山に雪が積んで冬が來た。其時彼等二人の間にはぢつとして居られぬ心配が湧いた。其心配といふのは改まつてのことではないが此頃に成つてどうにもしやうがなくなつたのである。駈落する以前からおすがは身持に成つて居た。おすがも初は我慢をして居たが此頃では體が兎角大儀になつた。叔父も疾からそれは知つて居るが百姓をするものは明日分娩する其晩まで跣足で仕事をする位のことは普通であるのだからそこは少しも苦勞はないのと一つは愈々腹がか、だからといふ時に返してやらなければ彼等雙方の家で仲々引きとるのに故障をいふだらうといふことでおすがには成るたけ樂な仕事をさせて止めて置いた。冬も寒が來て田甫の榛の木には春の用意に蕾がふら/\と垂れはじめた時にもうこゝらでいゝと思案をして叔父は二人を返してよこした。博勞の伊作へも手紙をつけ又四つ又へもこま/″\と自分の筆の立つだけは書いた。其は自分が行かねば濟まぬわけだが、かういふ日蔭ものを連れてのこ/\村へはひることも極りの惡いことだによつて二人だけ返すのだがどうか惡く思はないでどんなにでもいゝから心配をして貰ひたい、後で卵屋が愚圖々々いふ時にはわしがそこは引きうける。若し只今にも自分が行かねば駄目といふなら葉書をくれゝば直にも飛んで行くからといふのであつた。二人はどこへも手頼る所がないので四つ又の家へ轉がり込んだ。四つ又も困却したが乘つた船で止むを得ない。先づ伊作へ談じて見たがどうも只ではおすがも戻れない。思案の末におすがの家の前の仙右衞門へ少しの間といつておすがを頼んだ。一つは仙右衞門の家は廣い割合に少勢であるのと一つはすぐ前のうちへ置いたならば朝夕おすがの姿を見るうちには兄貴もさう六ケ敷ことばかりもいはれなくなるだらうしお袋が愚固だから誰も因業もいつては居られまいといふ見込をつけたのである。おすがの身の處置をつけて四つ又は卵屋の方へ手を出した。四つ又は隨分此の事件では厄介な役目であるが、四つ又でなければ出來ないと村からいはれて居るのが心中窃に自慢なのである。或晩
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