と譯を説いて、此所ですつぱり手を切つてしまふ決心はないかといふと
「わしやどうしても思ひ切れましねえ」
と彼は斷乎としていひ放つのである。お内儀さんも成程と困つた。
「それ程ならさうとして私も心配してやらうがお前の親爺もあの通りで兵隊前は駄目だといふのだが、幸ひ檢査も濟んでお前も輜重輸卒と極つたのだからもう先が見えてるんだ。其時に成つてからなら嫁の相談も出來るしそれまでの所の辛抱だがどうしたものだ。長いやうでも一年足らずだ。さうしてどこにも障りのないやうにしたらどうだ」
兼次も此には少し我を折つた。
「それぢやわしも其積りで辛抱して働きませう」
「さうかさうして呉れゝば仲裁人の顏も立つし、親爺の心も解けるといふものだ。愈それと極まれば双方へ兼次が思ひ切つたと表面噺をして一先づ安心をさせるのだが、それには私が一應お前とおすがを逢はしてやるからそこで内實は決して心變りはしないといふ約束をしておくがいゝ。少し辛抱するうちには兵隊も濟むし其上でなら私らも共々心配をして屹度一緒にしてやるが、おすがゞ其間に辛抱が出來なけりやそれこそ夫婦になつても頼みに成らない女だから其時は未練はない筈だがどうだ兼次さうではないかい」
「さうでがす。なあに辛抱しらんねえやうな女ならわしうつちやつちめえまさあ」
「それでは私がお安を使つておすがを呼び出すやうにしてやるから其の時今いつたやうな手筈にしたがいゝ。其代り屹度辛抱をしなくつちや駄目だよ」
「辛抱するつて云つた日にやわしも屹庭辛抱して見せますから」
兼次は元氣よく家の仕事をして居た。其頃は土用に入つて間もないのであつたが畑の大豆は莢が急に膨れる。青々とした稻草の根元まで暑さがしみ透つて鰌が死ぬといふ位で、百姓は晝は裸に絲楯《いとたて》を着て仕事をする。夜は裸で蚊帳の中に轉がる頃であつた。其日は丁度祇園祭の日であつた。地上には到る所に強い日光を遮る爲に重く深い緑が其手を擴げられるだけ擴げて繁茂して居る。其でも幾日雨の涸れた畑の陸穗は日中は怺へ切れずに葉先が萎れてしまふ。面倒な日が西の林に落ちた時にやつと日光を遮る一日の役目を果した草木は快げに颯々と戰《そよ》ぎはじめる。それから幾十分の後に漸く百姓の暇な時間が來るのである。然し今日は祭の日であるだけに前日に仕事の一區畫をつけて遊ぶものは朝から遊んで居る。十五夜の月が強く青い滑かな夜の空を昇つて欅の木の梢からおすがの庭を照して居る。庭の柿の木は葉がきら/\と濡れたやうに月光を浴びて居る。空は見るから涼しげであるが一日照りつけた太陽のほとぼりはまだ蒸してどこの蔭へ行つても怺へられぬ程である。かういふ時はどこの家も開け放しである。おすがの家は煙がこもつて其煙が廂を傳はつて靜かな夜の中へ彷徨つて行く。晝間から呼ばれて來て居る村の親族が四五人で此の喉のつまるやうな煙の中に坐つて酒を飮んで居る。家のものは忙しく働いて居る。今祭の饂飩を打つて居る所なのだ。男は裸である。女も襦袢一つである。竈の前ではおすがゞ饂飩を茹でゝ居る。釜がぶうつと泡立つてこぼれ出すと大急ぎに手桶の水を一杯注ぐ。泡は忽ちに引込む。茹だつた饂飩は叉手《さて》で揚げて手桶へ入れて井戸端へ行つて冷たい水で曝して「しようぎ」へあげる。「しようぎ」といふのは極めて淺く作つた大きな籠である。籠といふよりは笊の大にして淺きものである。井戸端で少し暇どると饂飩を裁つて居る男があとが出來たと怒鳴る。こんなことでおすがには少しの隙もない。其竈の煙が家一杯にこもつて居るのである。お安が兼次を連れておすがを誘ひ出しに來たのは此時である。兼次は竹藪の蔭へ潛ませてお安は用のある振で行つて見たが全く隙がない。兼次は我慢をして居ればよいものを蚊には螫される。足には痺れがきれる。もどかしく成つて遂そこらをうろついた。其姿をちらりと家のものが見た。兼次ならどうも飛んでもねえことだと、熬豆をかじりながら饂飩をすゝつて居た親族のものはさつきの酒がまはつて居るので下駄を穿いて出だすのもあつたBお安が折角やきもきしても此夜は目的を達することが出來ずにしまつた。内儀さんはそれでは自分のうちへ呼んで逢はせるやうにでもしてやらうといつて居ると二三日たつて兼次はおすがの家で捉まつたといふ噂がはやくも聞えた。内儀さんの苦心もなにも滅茶々々に成つてしまつて事件は又もとへもどつて了つた。
「なんちい馬鹿だんべえなあ」
とお安はいま/\しがる。外の人々は腹が立つといふよりは呆れて物がいへなくなつた。
其うちに笑止しな出來事が起つた。祇園が過ぎてから十日ばかりたつてからである。或朝親爺は
「兼、今から仕度しろ、われ見てえなものはおらぢへは置けねえからどこへでもうつちやらなくつちやなんねえ、一緒に行け」
と親爺は兼次を連れて出た。お袋は餘りの突然な
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