癇になつた。病氣が屡起つてから彼は只ぼんやりとしてしまつた。病氣の起る間が遠ざかれば時としては木の根を掘りに行くこともあつたり一日かゝつて米の一臼位は舂くこともあるが、何處でぶつ倒れるか分らないので殊にお袋の心配は止む時がない。彼は人さへ見ればにや/\と笑つて居る。彼は不具な體でありながら年頃來てからは草刈の娘などに戲談をいふこともあるやうに成つた。娘等は往復共にいゝ慰み物にして太一にからかふ。此を見てつらいといつて涙をながすのはお袋である。こんな不幸な出來事から家の相續をする者は兼次より外には無くなつたのである。其大切な兼次が浮かれ出したのだから非常な打撃であるといはねばならぬ。それがおすがのお袋が指金で此間の晩も垣根の所にうろついて居たのはお袋がお安といふ女を連れて來て居たのだと思つて居るので親爺はもう心外で堪らぬのである。太一は五六日前に隣の五右衞門風呂で病氣が起つて踏板を踏み外して足のうらへ五十錢銀貨位の火膨れが出來たとかで變な歩きやうをしながら今日も落花と毛蟲の糞との散らばつた庭に立つて栗毛蟲を叩いて居る。彼はやがて其竹竿を入口の廂へ立て掛けてぼんやりと立つて此の掛合の後半を聞いた。さうして四つ又が持て餘して双方とも暫く無言であつた時に
「ヱヘヽヽヽヽ嫁さま貰つてやれ」
といつて脇を向きながらにや/\と笑つた。竈の前に心配相な顏をして茶を沸して居たお袋はたぎつた湯を急須にさして上り框へ持つて來た。さうして四つ又の前へ對して極り惡相にして
「太一、わりや默つてろ」
と叱りつけた。
「ヘヽヽおつかあ」
と太一は又にや/\と笑つた。親爺は噺の途中から顏がほとつて來て目の玉まで赤くなつて居る。四つ又は暫くたつて又
「そんぢやどうしても今は貰あねえんだな」
といつた。
「どうしてもおら駄目だよ」
返辭は淀みがない。
「檢査せえ濟めは嫁の世話しても怒るめえな」
念を押す。
「怒らねえとも」
簡單だ。
「ようし齒を拂つて云つたな。そん時はおすがこと世話すつかも知んねえかんな」
四つ又はこんなことで此場は手を引いた。此の表沙汰の掛合があつてから十日ばかり經つて兼次は親爺と一所に自分の家で働いて居た。卵屋は他人へ對しては恐ろしい意地も張りも強い人間であるが兼次がことゝなると大抵のことは忘れてしまふのである。四つ又は其所の呼吸を知つて居るので元の鞘へ收める役目は彼に丈は容易なことであつた。
五
おすがの家では又村の親族が聚つて智惠を絞つた。どうしても此は二人の間を離れさせるのが專一である。それにはおすがを隱すことだと博勞の伊作の考で村の親族の一人が引きとつた。唯の夜遊びでさへ村中押し歩くのだから兼次がおすがを嗅き出すのは牡犬が牝犬を搜すよりも速かであつた。おすがはそれから見習奉公といふ名義で隣村の大盡へ預けられた。然し兼次が其大盡の邸内へ忍び込んだのはおすがゞ行つた其日の晩であつた。其晩兼次はひどい目に逢つた。傭人等が豫め兼次の來ることを知つて主人へ窃に告げたのである。嚴重な主人は傭人に命じて庭の隅へ追ひつめさして捉へた。兼次は地べたへ手をついて謝罪つた。門の外へつき出されてほう/\の態で歸つて來た。娘と千菜物《せんざいもの》は其村の若い衆のものだといふ諺が古くから村には傳つて居る。維新の頃までは若しも他村の男が通《かよ》つてゞも來れば其村の若い衆の繩張を冐したことに成るので散々に叩きのめして其上に和談の酒を買はせたものだといふ。それ程のことはもうないが今でも一つは嫉妬心から一つは惡戲半分から追ひまはすことは往々である。兼次が酷い目に逢つたのも傭人にこんな心持があつたからである。おすがも翌日暇が出た。遉にしほ/\として風呂敷包を抱へて歸つて來た。二人の間に就いては百方策が盡きた。遂に村の旦那へ持つて行くことに成つた。旦那といふのは祖先の餘慶によつて村の百姓をば呼び捨てにするだけの家柄である。大抵の出來事が愈埓明かなくなると屹度旦那の許で裁判を乞ふのが例になつて居る。兼次のことでは旦那も髯をこきおろしながら考へたがやつぱり困つた。卵屋の頑固は叩いて見なくても分つて居る。一先づ本人共の意見を聞かうと最初におすがを呼んだ。おすがはもう埓もない。離れたくないのは山々だけれど離れろといへばそれも素直にいふことを聽くのである。尤も旦那の家へ呼ばれて噺をされるといふことは生來嘗てないことで只恐れてどうもかうもいふことは出來ないのだが眞實死ぬの生きるのといふ程の決心はないのである。おすがはまだ十七にしか成らぬ。次には兼次を呼んだ。卵屋が又變な料簡を起しても困るからとお内儀《かみ》さんの機轉でお安を使つて或日の晝餉の仕事休みに裏庭へ連れ込んだ。お安はおすがと茶摘をして兼次を騷がしたことのある女である。お内儀さんは篤
前へ
次へ
全13ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長塚 節 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング