遲く彼は卵屋へ行つた。此頃は毎日村のどこからかとん/\と箱篩《はこふるひ》の音が竹藪を洩れて聞える。田舍の正月が近づいたので其用意に蕎麥や小麥や蜀黍の粉を挽くのである。卵屋でも此晩蕎麥粉を挽いてる所であつた。お袋は顏から衣物から埃のやうに粉を浴びて莚の上で箱篩の手を動かして居る。親爺は癲癇持の太一と二番挽の糟を挽いて居る。四つ又はくゞり戸開けてはひるとすぐに石臼へ手を貸した。石臼はぐる/\と輕くめぐる。
「寒い思して態々|節挽《せちびき》の傭に來たやうなもんだな」
 と四つ又は笑ひながらいふ。
「當てにもしねえ傭が出來ておれは此れだからうめえな」
 と卵屋も相槌打つて勢よく然かもそろ/\と石臼をめぐす。暫くで蕎麥の糟は全く穴へ掻き込み畢つた。石臼は其儘幾つかごろ/\とめぐして此れで蕎麥挽はやめた。お袋は箱篩の手を止めて上り框《がまち》の冷え切つた火鉢へ粗朶をぼち/\と折り燻べた。煙が狹い家に薄く滿ちた時に火鉢へは燠《おき》が出來て煤けた鐵瓶がちう/\鳴り出した。
「構はねえで篩つておくんなせえ」
 と又四つ又はお袋へ挨拶する。
「篩ふなあしたでもえゝんでがすから」
 とお袋は石臼臺の粉を桶へ移して筵を掛ける。親爺は裏戸口の風呂で暖まる。
「篦棒に寒い晩だなどうも」
 と又四つ又は火鉢へ手を翳す。
「雪がちら/\して來たから寒い筈だ」
 と卵屋は湯から出て土間で褌をしめながらいつた。さうして
「茶よりや蕎麥掻でも拵えろな、腹あつためるにや蕎麥掻の方がえゝや」
 といふと
「蕎麥掻はえゝな、そんだが鰹節はなにか土佐節か」と四つ又は啄を容れる。
「へゝたえしたことをいふな、何處で聞いて來た」
「どこつておら土佐節でなくつちや喰つたことあねえんだ」
 百姓の家に松魚節のあらう筈はないのである。四つ又はこんなことでそろ/\戲談から口火を切る。鐵瓶の湯が沸つたのでお袋は二つの茶碗へ箱篩から附木《つけぎ》で蕎麥粉をしやくつて移す。鐵瓶の湯を注いで箸で掻き交ぜる。お袋は小皿へ醤油を垂らして出す。
「こら饂飩粉ぢやあねえかあんまり白えな」
「四つ又もちつと眼がチクになつたな。そりや一番粉で糟がへえらねえだ。甘かんべえ」
「うん、ずうつとかう喉からほか/\して來たな」
 蕎麥掻の茶碗へ湯を注いで四つ又はふう/\吹きながら飮んで愈々噺を持ち出した。
「おれが云ふことはもう聞き飽きたんべ、おれも呆きれた。そんでも此んでも聞いてもらあなけれやあなんねえんだ」
「又兼が噺か、その噺ならしねえでもれえてえ」
「それだからおれが聞いてくろうつていふんだよ。おすがの腹がえかくなつて今落ち相になつて歸つて來たんだが、どうも此までとは違つてこんだあ捨てゝ置けねえこつたから向の親類でも困つてんだ。おすがも五六日こつち小便も近くなつたといふんだから今夜にもあぶねえんだ。それがうちへ寄せられねゝえんだから今出來る子供の産す場所がねえ譯なんだ。此所のところはまあどうしたもんだな」
「どうするつておら駄目だよ」
「まあようく考《かんげ》えて見てくんねえか、自分の息子が人の大事の娘を引張り出して隨分世間へも外聞を曝して揚句の果が孕ませてそれでこつちゞや嫁に貰ふことも出來ねえが、趣意もつけられねえ腹の子供がどうなつてもえゝつて云ふんぢや向の身に成つても隨分酷かんべと思ふんだな」
「趣意なんざあ文久錢一文でもおら出せねえよ。向で欲しけりやおら兼の野郎呉れつちやつて構あねえ。おら相續人なんざあ外から養子したつてえゝと思つてんだ。おら旦那にいはれたつて聽かねえから駄目だ。旦那に怒られて村に居られなくなりや居らねえたつて構はねえんだから」
「酷くわからねえんだな」
 遉の四つ又も逐にはむつとしてかういつた。卵屋はもう目の玉まで火のやうに赤く成つて居る。
「そりやおれ惡るかんべえ。惡くつたておらさうかたあ云はねんだから、どうぞおれげは其の噺はしねえでくろ」
 といひながら火鉢の向へごろりと轉がつて何とも返辭をしない。胸には激しい動悸が打つて居る。豆ランプの薄闇い光が其燃えるやうな顏をてらして居る。四つ又は手持不沙汰にして居たがやがて裏戸口から小便に出る。雪はいつの間にか地上一杯に白くなつて外は薄明くなつて居る。厩の側には落葉が堆く積んであつて其上にも雪がさら/\と微かな音をさせて白く積りつゝある。馬は人の近づいたのを見てがさ/\と敷き込んである落葉を踏みつけながらフヽフヽと懷しげに鼻を鳴らして馬塞《ませ》棒から首を出して吊つてある飼料《かひば》桶を鼻づらでがた/\と動かして居る。お袋は四つ又の後から出て
「どうぞ惡く思はねえでおくんなせえ。本當にいつでもあゝだから困んだよ」
「思はねえにもなんにも、ありや癖だから」
「そんぢやえゝがなあ」
 といつてお袋は少し躊躇して
「さうとあの兼は煩
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