。霧は番傘のうらまで湿した。行手に当つて時々樹木が霧の間から現はれる。樹木は大分栗の木があつたやうで、ぼんやりと白いものが大きく見えたと思ふと遠い処から大急ぎで自分のすぐ前へ駈けて来たやうに太い幹がひよつこりあらわれる。遥かなる足の底の方に鴨のやうな声が幽かに然《し》かも鋭く聞えた。やがて声は更に幽かに別の方向から聞えた。梢から枝へ移つたのであらうと思つて居ると、又さつきのあたりで悲しげな声を立てた。そこには深い谷があると見えて霧は更に白く鬱積して居る。自分は見えもせぬ谷を見おろした。ぼんやりと白い大きなものが其所にも見えた。歩を進めるに従つてそれは隠れて又更に其白い大きなものが現はれる。それは花になつた栗の木の梢であつた。栗の木さへ其白い花は他の幹や枝の如く霧のために隠されるものではないのである。霧の中の白い花といふことは自分に深い興味を与へるやうになつた。
 其の後、塩原から尾頭峠を越えた人の噺《はなし》を聞いた。それは霧の中であつたといつた。あたりを閉して居た霧がうすれて樹木がぼんやりと見える時白い点のやうなものを以てびつしりと装うた樹があり/\と見えた。それが只白い霧の中に注意
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