永遠に鎖された殿堂、そこに私たちのいのちの交響楽がある。私たちは扉の前に立つて内殿の光明や華麗さやを想像してゐる。
生けるものは悉くその鎖されたる扉の前に立たされてゐる。或る者は喇叭を吹き鳴らしながら扉を叩いてゐる。しかしかれの耳には内殿の楽の音の余韻すらも聞えない。かれはたゞ、かれ自身の卑しい燥音の反響を聴くのみである。かれはその反響を以て、内殿の楽の音であると想ひなしてゐる。かれは街の人々の前に立つてその反響を繰り返す。かれは角笛を吹いて「我れ天啓に触れたり、内殿の光明を見たり、内殿の楽の音を聴けり」といふにちがひない。
騒々しき街頭の予言者よ!
私は幾度かこのあはれなる街頭の予言者であつたことを恥づる。ともすれば驕慢な私の心は、幾度か扉の前に立ちて内殿の楽音を聴き得たりと思つた。プロメシウスのごとく天火を偸み得たと思つた。私の炬火は何物の影をも照らすことはできなかつた。
また或る人々は最初から扉を背にして立つた。そして街を往来する馬車や自動車や都会の喧騒に対して話しかけてゐた。やがてそれ等の人々は何時の間にか巷の塵のなかに隠れてしまつた。
賢き都会人よ! 力強き勇者達よ!
扉の前に立ちて瞑黙してゐた私は、たび/\怯惰なる偸安者と想はれることもあつた。また私自身ともすれば争闘の気力なき自分を顧みてあはれに思ふこともある。しかし私は夢を夢みてゐるのではない。自然の殿堂の扉に立つ時私はたゞかすかなる内殿の光りと、楽音を感ずるだけであるが、私はそれだけでも充分である。私が二年立つてゐようと、或ひは十年立つてゐようとも、その扉は永遠に鎖されてゐるかも知れぬ。人間はしかく運命づけられてゐる。しかしながら私はそのかすかなる光りのなかに、内殿のなかをこむる光明の本質と同じいのちのあらはれが流れてゐることを感ずる。縷のやうな繊音のなかに、永遠のいのちから流れて来るちからの漂ふてゐることを感ずる。私たちは天空の星にまで翔ることはできぬ。しかしながら少かに吾々の世界に投げかけられた天空の星光を分析して、星そのものゝ本質を知ることができる。私たちは一滴の雫は万滴の湖水に通ひ、一条の入江は万項の海原に連なつてゐることを知つてゐる。
鎖されたる扉の前に立ちて、私の胸は内殿から流れ来るいさゝかなる楽の余韻につれてうごめく。霊しき殿堂のなかに鎖されたる神秘の力、うごめくいのちの
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