まえ。」
「君がくよくよしないで、できるだけ早くよくなってくれれば、それですっかり償いがつくというものさ。ところで、そんなに元気になったようだから、君に一つ話したいことがあるのだが。」
私は慄えた。一つ話したいことだって! それはなんだろう。私があえて考えもしないでいることを言いだすつもりだろうか。
「おちつきたまえ。」私の顔の色の変るのを見てクレルヴァルが言った。「君が興奮するようだったら、言わないことにしよう。しかし、君のお父さんや従妹が、もし君が自分で書いた手紙を手にしたら、ずいぶん喜ばれるのだろうがね。君の病気がどういうふうか、知ってはおられないのだし、それに君の便りが久しくないので案じていらっしゃるのだ。」
「話というのはそれだけなの、アンリ? 僕はまずまっさきに、僕の愛する、そしてその愛情に応えてくれる、なつかしい人たちに思いを馳せているのに、それが君にはわからなかったのだね。」
「君がそういう気もちでいるのだったら、ね、四、五日もここにある君あての手紙を見たら、たぶん喜ぶだろうよ。君の従妹からだよ、それはきっと。」
6 故郷からの便り
クレルヴァルはそこで、つぎの手紙を私に手渡した。それは私のエリザベートから来たものであった。――
「なつかしいヴィクトル――かげんがずいぶんおわるかったのですね。親切なアンリからはしじゅうお手紙をいただきますが、それでもどんなふうなのか安心しきれないのです。あなたは書くこと――ペンを取ることを、禁止されていらっしゃいますのね。だけど、ねえヴィクトル、私たちの不安をなだめるために、あなたの手で一筆書いてよこしてくださいませんか。長いこと私は、今度の便こそそれが来るだろうと考えて、伯父さまがインゴルシュタットへおいでになることをやっきとなってお留めしました。そんな長い旅で不自由なさったり、またひょっとすると危険な目にお会いになったりなさると困りますからね。それでも、自分で出かけて行けないのを何度悲しんだことでしょう! 病床に附き添う仕事は、金だけで働く老看護婦に任せてあることと想像しますが、その人は痒いところに手がとどかず、たとい気がつきはしても、あなたのいとこのような気づかいや愛情をもってそれをしてあげはしないでしょう。もっとも、それももう、過ぎ去ったことですね。クレルヴァルから、あなたがほんとうによくおなりだと知らせてよこしましたもの。この知らせをあなた自身がお書きになって確かめさせてくださることを一心に願っています。
「よくなってください――そして私たちのところへ帰って来てください。幸福な、愉快な家が、またあなたを心から愛する友だちが待っています。あなたのお父さまは御壮健で、あなたに会うことだけを――あなたが達者でいることをお確かめになることだけを望んでおいでですが、それができたら、あの慈愛深いお顔を曇らせたりもなさらないでしょう。私たちのエルネストのよくなったのをお気づきになったら、あなたはどんなにお喜びでしょう。もう十六になり、元気ではち切れそうですわ。ほんとうのスイス人になって、外国の軍隊に入るのだと言っていますが、すくなくとも、あなたがお帰りになるまでは、私たちだけでこの子を離してやることはできません。伯父さまは、遠い国の軍隊勤めをするという考えを喜んでいらっしゃるわけではありませんが、エルネストはあなたのような勉強ぶりを見せたことがないのです。勉強をいやな束縛だと考えてさしじゅう外にばかり出て、山に登ったり湖水で舟を漕いだりしているのです。ですから、この点を考えて、自分で選んだ職業につくことを許してあげないと、怠け者になるおそれがあります。
「子どもたちが大きくなったこと以外には、あなたが家を出られてから、変ったことはほとんどありません。青い湖、雪を頂いた山々、そういうものはちっとも変っていません。――また、私たちの平和な家庭や充ち足りた心は、それと同じ不変の法則に支配されているとぞんじます。私は、こまごました仕事で、時間の経つのも知らず、それで慰められておりますし、どんなほねおりも、身のまわりに見るのは幸福で親切な顔だけだということで報いられるのです。あなたがそちらにいらしてから、私たちの小さな家庭に、一つだけ変ったことが起りました。ジュスチーヌ・モリッツが、どんな機会に私たちの家庭に加わったか、おぼえていらっしゃいますか。たぶん、ごぞんじでないでしょう。だから、簡単にこの人の身の上ばなしを申しあげます。この人の母親のモリッツ夫人は何人の子をかかえた未亡人で、ジュスチーヌはその三番目の子です。この子はいつも父親のお気に入りでしたが、母親のほうは妙に片意地を張ってその子をかわいがらず、モリッツさんが亡くなられてからはとてもひどく扱っていました。私の伯母さまがそれを見て、ジュスチーヌが十二歳のとき、母親を説きふせて、私たちの家でくらすことをお許しになったのです。私たちの国の共和的な制度は、近隣の大きな君主国でおこなわれる制度よりも単純で幸福な慣習をつくりあげています。ですから、住民のいろいろな階級のあいだに差別が少くて、下層の者も、それほど貧しくはないし、また、それほど軽くも見られていないので、その態度がずっと上品ですし、ずっと道徳的です。ジュネーヴでの召使は、フランスやイギリスでの召使と同じことを意味してはおりません。ジュスチーヌは、こうして、私たちの家庭に迎えられ、召使の仕事をおぼえましたが、私たちの幸運な国では、この身分は、無知という観念も、また人間性の尊厳をそこなうことも、含んではいないのです。
「おぼえていらっしゃるかもしれませんが、ジュスチーヌはあなたの大のお気に入りでした。いつかあなたが、気嫌のよくない時でもジュスチーヌがちょっとこちらを見ると直ってしまう、とおっしゃったのを、私おぼえておりますが、やはり同じ理由で、アリオストもこのあどけない娘の美点をあげています。それほど気さくで幸福に見えるのですね。伯母さまもこの子にたいへんお惚れになって、はじめそう思っていたのよりもずっとよけいに教育をつけておやりになりました。この恩恵は十分に報いられ、ジュスチーヌは身の置きどころもないくらいに感謝していました。その子が自分で告白したわけでなく、その子の口から聞いたわけでもありませんが、その眼を見ると、伯母さまをほとんど崇拝していることがわかりました。気もちが快活で、思慮が足りない点はいろいろありますけれど、伯母さまの身ぶりにいちいちできるだけの注意を払いました。伯母さまを何よりもすぐれたお手本と考え、ことばづかいからその癖までまねようと努力しましたので、今でもこの子を見るとよく伯母さまを憶い出します。
「伯母さまがお亡くなりになると、みんな自分の悲しみに沈んで、かわいそうにジュスチーヌを見てくれる者がありませんでしたが、伯母さまの御病気ちゅう、誰よりも心配して手厚く介抱したのはジュスチーヌだったのです。かわいそうにジュスチーヌは、自分のかげんがわるかったのに、もっと別の試煉が待ちかまえていたのでした。
「兄弟や妹がつぎつぎと死んで、その母親が、捨てておかれた娘以外には子無しになってしまったのです。母親はそこで、気に入った子どもらが死んだのは、自分のえこひいきを懲らしめる天罰だったと考えはじめました。ローマ・カトリックの教徒でしたので、懺悔聴聞僧が、そう考えるのが至当だと言ってくれたものかとぞんじます。こんなわけで、あなたがインゴルシュタットへお立ちになった数箇月後に、ジュスチーヌは、後悔した母親のもとに呼び戻されました。かわいそうに! 私たちの家を出て行くとき、ジュスチーヌは泣きました。伯母さまがお亡くなりになってから、ずいぶん変って、悲しみが、以前はいちじるしく快活だったその気性に、柔かさと人を惹きつける暖かさを与えました。自分の母の家に住んでいても、もちまえの陽気さに戻りそうもありません。きのどくな母親の悔悛した気もちも、すこぶるぐらつきました。ときにはジュスチーヌに自分が不親切だったことを許してほしいと言ったかとおもうと、おまえのきょうだいが死んだのはおまえのせいだと責めたりすることも、少くはなかったのです。しじゅういらいらしたあげく、モリッツ小母さんはとうとう健康を害し、そのためにだいいち怒りっぽくなりましたが、今ではもう永久に平和です。この冬のはじめ、寒くなりかけたころに亡くなったのです。ジュスチーヌは私たちの所へ戻って参り、私は心からこの人をかわいがっていると申しあげてさしつかえありません。とても利口で、やさしくて、たいへんきれいで、前にも申しましたように、その態度と表情がたえず伯母さまを憶い出させます。
「なつかしいヴィクトル、愛らしい小さなウィリアムのことも、すこし申しあげなくてはなりませんね。あなたに見ていただけたらと思います。年のわりあいにとても背が高く、そのかわいい青い眼が笑っているようで、睫毛が濃く、髪が縮れています。笑うと健康で薔薇色をした両の頬っぺたにえくぼができます。もう小さいお嫁さん[#「お嫁さん」に傍点]を一人二人もっていますが、ことし五つになるルイザ・ピロンというきれいな女の児がお気に入りです。
「さてヴィクトル、あなたはきっと、ジュネーヴの善良な人たちに関するささやかな噂話が聞きたいでしょう。あのきれいなミス・マンスフィルドはもう、イギリスの青年、ジョン・メルボーン氏との結婚が近づきましたので、そのお祝いの訪問を受けておいでです。器量のよくない姉さんのマノンは、昨年の秋、富裕な銀行家デュヴィラール氏と結婚しました。あなたのお好きな学校友だちルイス・マノアールは、クレルヴァルがジュネーヴを離れてから後、いろいろ不しあわせな目に会いました。けれども、もう元気を取り戻して、とても陽気な美しいフランス婦人マダム・タウェルニエと、結婚なさる目あてでいらっしゃるという話です。その方は未亡人で、マノアールよりずっと年上ですけど、たいへん人に尊敬されていて、誰にでも人気があります。
なつかしいヴィクトル、こうして書いているうちは元気でしたが、書き終えるとまたふたたび不安になってまいります。手紙をください、ヴィクトル。――一行でも――一語でも、私たちにはありがたいのです。アンリの御親切、御厚情、再三のお手紙には、お礼のことばもこざいません。衷心から感謝いたします。さよなら! ヴィクトル、お体には気をつけて。お願いですからお手紙をください!
[#地から2字上げ]エリザベート・ラヴェンザ
[#地から1字上げ]ジュネーヴ、一七××年三月十八日」
この手紙を読んで私は叫んだ、「なつかしい、なつかしいエリザベート! さっそく手紙を書いて、みんなの感じている不安を一掃してあげなくちゃ……。」私は手紙を書いたが、ほねがおれてひどく疲れた。けれども私は、快方に向って順調に進んだ。二週間ほど経つと部屋の外に出ることができた。
治ってから最初にやらなければならなかったことは、クレルヴァルを、大学の教授数人に紹介することであった。それをしたのはいいが、そのために私は、ひどい目にあって、精神的に蒙った傷に負けない苦しみをおぼえた。自分の研究の終りであってまた不幸の始まりであったあの運命の夜からこのかた、私は、自然哲学という名に対してさえ激しい反感を抱いていたのだ。こうして、そのほかのことではすっかり健康を取り戻したのに、化学的装置を見ると、神経的な苦悶の症状が甦ってきた。アンリはこれを見て、私の眼につかない所へ器具頼をかたずけてしまい、アパートメントも変えてしまった。前に実験室にしていた部屋を嫌っているのを看て取ったからだ。しかし、こうしたクレルヴァルの心づかいも、教授たちを訪問するやいなや水泡に帰してしまった。ヴァルトマン氏が、親切な暖かい心で、私が驚くほど科学において進歩したことをほめたが、それが私を苦しめたのだ。教授はすぐ、私がその問題を嫌っているのに気がついたが、ほんとうの原因の察しがつかず、私が遠慮しているのだと考え
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