枯れはててしまったことを、私は考えた。この怪物の力や脅迫も勘定に入れないわけにいかなかった。氷河の氷の洞穴に居て、これを追いかけても近よれない断崖の峯々のあいだに隠れてしまう生きものは、争ったところでむだな能力をもったものであった。私は、黙って長いこと考えたあとで、この怪物にとってもまた人間仲間にとっても当然の正しさが、この要求を承諾することを求めている、という結論に達した。そこで、怪物のほうを向いて言った――
「追放中のおまえに伴れ添う女性をおまえの手にわたしたら、さっそく、永久にヨーロッパから、人間が近くにいるあらゆる場所から、立ち去ってしまう、と厳粛に誓うならば、おまえの要求に応じよう。」
「誓いますとも。天日にかけて、神のまします青空にかけて、この胸を燃やす愛の火にかけてわたしの祈りが聴きとどけられるならば、それらのもののあるあいだは、二度とにお目にかかりません。お家に帰って仕事にかかってください。その仕事の進捗ぶりを、言いようのない渇望をもって見守っています。準備ができたらわたしが現われますから、それだけは心配なさらぬように。」
 そう言うと、怪物は、私の気が変るのを恐れでもしたのか、とつぜん私から離れ去った。見れば鷲の飛ぶよりも速く山を馳け降り、起伏する氷の海のあいだにたちまち見えなくなった。
 怪物の話はまる一日かかり、そいつが立ち去ったころには、太陽が地平線とすれすれになっていた。まもなく暗やみに包まれるので、急いで谷間に降りていかなければならないことはわかっていたが、心が重く、歩みははかどらなかった。山の細道を曲りくねって辿り、進むのにいちいち足を踏みしめるつらさに、昼間の出来事で興奮していた私は、すっかり悩まされた。途中の休憩する所まで来て山のふもとに腰を下ろした時には、もうすっかり夜ふけだった。雲が掠めて通るあいまあいまに星が輝き、黒い松の木が眼の前に立ち、地面にはどこにもここにも折れた木か倒れていた。それは驚くほど厳かな場面であって、私の心に奇妙な感じを起させた。私はさめざめと泣き、苦悶のあまり手を握りしめて叫んだ、「おお! 星よ、雲よ、風よ、おまえらはみな私を嘲ろうとしている。ほんとうに僕を憫れむなら、感覚や記憶を叩きこわしてくれ。僕を無に還らせてくれ。が、それもできないなら、行ってしまえ、行ってしまえ、そして暗やみのなかに僕を置いていけ。」
 これはむちゃくちゃでみじめな考えだったが、永遠にまたたく星の光がどんなに重たくのしかかり、焼きつくすように吹いてくるどんよりしたいやな熱風のような風の吹くたびに、その音をどんな思いで聞いたかは、とてもお話できそうもない。
 シャムニの村に着かないうちに夜が明けたので、私は休息もしないでまっすぐジュネーヴへ帰った。私は、自分の心のなかでさえ、私の気もちを言い表わすことができなかった、――それは山のような重さでのしかかり、私は下敷きにされて、あまりの苦しさにむちゅうになった。こんなふうにして私は、家に帰り、中に入って家の者の前に現われた。やつれはてて気ちがいじみた私の姿に、みなひどくびっくりしたが、私は何を聞かれても返事をせず、ほとんど口をきかなかった。私は、禁令のもとに置かれているような――みんなの同情を受ける権利がないような――もうみんなと仲よくできないような気がした。それでも私は、みんなを敬慕に近いくらいにさえ愛し、この人たちを救うために、自分のいちばんいやな仕事に身を捧げる決心をした。そういうことに没頭することを考えると、ほかのことはみな夢のように眼の前を過ぎ去り、そういう考えだけが生活の現実となった。


     18[#「18」は縦中横] イギリスへの旅立ち


 ジュネーヴへ帰ってから幾日も幾週間も経ったが、仕事にかかる元気は湧いてこなかった。望みを失った悪鬼の仕返しを恐れはしたものの、私は、言いつけられた仕事をするのはいやでたまらなかった。ふたたび深遠な研究とほねのおれる探求に数箇月を費さなければ、女性を造り出せないことがわかっていた。イギリスのある哲学者が何か発見をした話を開き、それを知ることは私が成功するためには必要なことだったので、そのためにイギリスへ行くのに父の同意を得たいと考えることもあったが、あらゆる口実をもうけてぐずぐずし、その仕事がぜひともすぐやらなければないわけでもなさそうな気がしはじめて、その第一歩を踏み出すことを尻込みした。私の身にはたしかに変化が起っていた。というのは、今まで衰えていた健康がだいぶ恢復し、不幸な約束を思い出すことで妨げられない[#「妨げられない」は底本では「妨げげられない」]かぎりは、それに応じて元気も出てきた。父はこの変化を見て喜び、私の憂欝のなごりを根絶するいちばんよい方法について考えた。私のこの憂欝は、ときどき発作的に、日の光も蔽う舐めつくすような暗さを帯びて戻ってくるのであったが、そういう最中には、私は、それこそまったくの孤独のなかに隠れ、終日ひとりで小さなボートに乗って、黙ってぼんやりと雲を眺めたり、波のさざめきに耳をかたむけたりした。けれども、新鮮な空気と輝かしい太陽が、かならず、と言っでもいいくらい、ある程度のおちつきを取り戻してくれたので、家に帰るとみんなは、待っていてくれた笑顔で機嫌よく迎えてくれた。
 ある日、こういう漫歩から戻ってくると、父は私をそばに呼んで、つぎのように話しかけた、――
「おまえが以前の喜びを取り戻し、自分に帰っているらしいのを見て、わたしは嬉しいよ。けれども、おまえはまだ不しあわせで、わたしらのなかにいるのをまだ避けているね。わたしはしばらく、その原因についてあれこれと考えてみたが、昨日ひとつ考えが浮んだので、それが十分に根拠のあることだったら、聴いてもらいたいのだ。そういうことで遠慮することは、無用であるばかりでなく、わたしら皆のものに三重の不幸を招くことになるからね。」
 この前置きを聞いて私はひどく慄えたが、父は話をつづけた、――「白状するが、わたしはいつも、おまえのエリザベートとの結婚を、この家庭を楽しくする絆であり、わたしの晩年の支えであると思って、将来を考えていた。おまえらは幼い時からたがいに仲よくし、いっしょに勉強し、気性や趣味の点でもまったく一致しているようだった。しかし、盲目的なのは人間の経験だから、わたしが自分の計画をいちばんよく手助けできると考えたことだって、それを叩き壊してしまうかもしれない。ひょっとしたら、おまえは、あの子を妹と考えていて、自分の妻にするというつもりはないのかもしれない。いや、おまえの好きなほかの女に出会っているのかもしれない。そして、エリザベートとは義理に縛られていると考え、どうもそうらしく見えるように、そんな気苦労でひどく参っているのかもれないね。」
「お父さん、御安心ください。僕は、あの従妹を心から深く愛しているのです。エリザベートのように、熱烈な敬慕や愛情を僕に起させる婦人には会ったことかありません。僕のこのさきの希望や予想は、まったく、僕らがいっしょになることの期待に結びついていますよ。」
「この問題に対するおまえの気もちを聞くと、ねえヴィクトル、絶えて味わったことのない喜びを感じるよ。おまえがそんなふうに考えてくれれば、いくらこのごろの出来事がわたしらに暗い影を投げようと、わたしらはきっと幸福になれるだろう。しかし、わたしが追いはらいたいのは、おまえの心を掴んで離さないように見えるこの影なのだよ。だから、この結婚の式をさっそく挙げることに、おまえが賛成かどうか、聞かしてほしいね。わたしは運がわるかったし、最近の出来事がわたしの齢や老衰に似つかわしい毎日の平静さを奪ってしまった。おまえは若い、けれども何不自由のない財産があるのだから、早く結婚したところで、おまえの立てているかもしれない未来の名誉な、また有益なことの計画の邪魔にはなるまい、と考えるのだ。といって、わたしがおまえの幸福を指図したがっているとか、おまえのほうでのびのびになるのがわたしにたいへんな心配を起させる、などと考えてもらっては困る。わたしの言うことを率直に取って、お願いするからひとつ、自信と誠実さをもって答えてもらいたいのだ。」
 私は黙って父の言うことに耳をかたむけ、しばらく答えることができずにいた。頭のなかですばやくさまざまなことを考えめぐらし、何か結論に達しようと努力した。ああ! 私にとって、エリザベートとさっそく結婚することは、怖ろしいことだったし、狼狽せずにいられないことだった。わたしはひとつの厳然たる約束に縛られていて、それをまだ果していなかったし、破る気もなかった。というよりは、もしも破ったならば、どんな数々の災難が私と私思いの家族に降りかかるかもしれなかった! こういう致命的な分銅を頸に懸け、地につくほど身を屈めたままで祝儀に臨むことができるだろうか。平和を期待する結婚の喜びを享ける前に、私は約束を果して、あの怪物を伴れといっしょに立ち去らせなければならなかった。
 私はまた、イギリスへ行くか、それともその国の哲学者たちと久しいあいだ通信を交すかする必要があるのを思い出した。この哲学者たちの知識と発見は、私の現在の企てには欠くことのできないやくにたつものであったからだ。ただ、通信でもって自分の望んでいる知識を得ることは、手間がかかってしかも不十分だし、それにまた、父の家で、自分の愛する者たちといっしょに仲よく暮らしながら、一方で忌まわしい仕事に従うことを考えると、どうにもこうにもいやでたまらなかった。恐ろしい出来事がたくさん起るかもしれないし、そのうちのどんな小さなことでも、私に関係のある者全部に、怖ろしさに身の毛もよだつ思いをさせる秘密をあばき出すことになる、ということは明らかだった。また、自分がしばしば自制心を失って、この世のものとも思われない仕事の進行中に、人を傷つけるような感情に捉えられたとしても、それを隠す力がなくなってしまうということも、私にはわかっていた。この仕事をしているあいだは、すべて自分の愛する者から離れていかなくてはならなかった。いったん、始めたとなると、それは早くできあがるだろうから、そしたら、平和で幸福な家族のもとに帰れるのだ。約束を果せば、あの怪物は、永久に立ち去るはずだ。もしかしたら(と私の甘い空想が心に描いたところでは)そのあいだに何か偶発的なことが起きて怪物を殺し、私のこんな奴隷状態が永久に終りを告げるかもしれなかった。
 こんな気もちから、私は父に返答した。私はイギリスに行きたいという望みを言いあらわしたが、この要求のほんとの理由は伏せておいて、疑念をすこしも起させない口実のもとにこの願いに衣を着せ、父もわけなく承諾させられるような熱心さでこの願望を力説した。その烈しさや結果から言って狂気にも似た無我夢中の憂欝が長く続いたあとだったので、父は、私がそういった旅行を考えついて喜ぶようになったのを知って嬉しがり、場面の変化やいろいろな楽しいことで、帰って来るまでにはすっかり元の私にかえるのを望んだ。
 私の畄守にする期間は自分で選んでさしつかえないことになったので、数箇月あるいはせいぜい一年というのが予定期間になった。父は、私に伴れができるように、父親らしい配慮をしてくれ、私には前もって知らさずに、エリザベートと相談して、クレルヴァルがストラスブルグで私と会うような手筈をととのえた。これは、仕事をするために自分の求めた孤独の妨げにはなったが、旅をはじめるにあたっては、友だちが居てくれることはいっこうさしつかえなく、長いこと孤独な、気の狂いそうな考え事にふけることからこんなふうに助かって、私はほんとうに嬉しかった。否、例の私の敵の闖入したとか、アンリがその前に立ちふさがってくれるかもしれなかった。もしも私が、ひとりだとしたら、あいつはときどき、私の前にあのぞっとするような姿でおしかけて来て、仕事のことを憶い出させたり、その進捗ぶりを眺めたりするかもしれないではないか。
 だから私は、イ
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